散り際もまた、気高く、美しい。また、来年会えるのを楽しみにしている。わたしは、これからまた季節をめぐるよ。そんなことを想いながら、その散り際の桜の下を通り過ぎる。
ソダシ、2021年桜花賞を制す。仁川の葉桜の下、勝者の白い馬体にかけられた、桜花賞のピンクのレイが、なんとも美しかった。
笠松、そして桜花賞の想い出に寄せて、ウマフリ様に寄稿させていただきました。桜が満開の時期に、笠松を訪れて現地取材をしてきましたので、今回はその際の写真も掲載いただいております。
電話というのも、不思議なコミュニケーションツールだ。相手の顔が見られない分、寄り添おうとする。顔を見られないということが、相手の情感や想いを、想像する手助けになることはある。
日ごとに太陽は力強さを取り戻し、その光量を増していく。天地万物が清らかに輝く、清明。その清らかに輝く木漏れ日の下、歩いた。
その昔、「愛し」と書いて「かなし」と読んだ。「悲し」も「愛し」も、おなじ「かなし」。かなしさの底には、その対象への愛が、静かに横たわっているのかもしれない。
風に舞う桜吹雪のように。さびしさとかなしさ、いとしさとともに、名残を愛でよう。いつか、また。また、いつか、会えるから。