自分がいま、どんな見方を選んでいるのか。そこに意識を向けてみることは、新しい選択肢を増やしてくれるものです。
今日は、心理学というよりはエッセイ寄りの内容を。「分かり合える」という感覚について、少し書いてみたいと思います。
どんな見方であっても、自分を責めることに使ってしまっては、意味がありません。「その見方は、自分に対して愛があるのか?」という問いかけを持つことは、大切なことです。
時候は「春分」の中ごろになりました。七十二侯では、「桜始開(さくらはじめてひらく)」。まさにその通りで、各地で開花宣言から、桜の見ごろの報せが聞こえてくるようになりました。
執筆しながら、いつまでこうして書かせてもらえるのかな、と感じます。AI全盛のこの時代に、人間が文章を書く意味って、なんだろうと考えるのです。
「投影」の視点を使うと、相手の言動から自分が自分をどう扱っているかが見えます。しかし、だからといって、その相手の言動に必要以上に責任を持つこともないのです。
周りの人から、自分がどう扱われるかは、自分が自分をどう扱っているかと関係しているという見方があります。ただ、あまり重く受け止め過ぎず、「そうかもしれない」という軽さもまた、大切です。