大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

「愛されなかった」と「愛せなかった」は、同じコインの裏表。

私たちが感じる痛みのなかでも、「愛されなかった」と「愛せなかった」という痛みは、実に強いものです。それらは非対称のように見えますが、実は同じコインの裏表でもあります。

愛されなかった、愛せなかった、という痛み。

私たちが傷つくのは、大切な人に愛されなかったときであり、大切な人を愛せなかったときです。そうした経験があると、心は固く閉じてしまうものです。ただ、それはほんとうに愛されなかった、愛せなかったのでしょうか。

麦秋至(むぎのときいたる)、収穫のときもあれば、根を張る時期もあり。

時候は「小満」の終わりごろになりました。七十二候では、「麦秋至(むぎのときいたる)」。麦が熟し、その黄金の穂が頭を垂れるころとされます。

車窓から見える「おやこうこう」という文字に。

先日、昼間に車で走っていたときのことです。私の住んでいる市内ですが、普段はあまり通らない道を走っていました。

自立の人が隠したがる「弱さ」とは、痛みの記憶。

私たちは自立していく中で、自分の「弱さ」を隠し、他人に見られないようにします。その「弱さ」とは、私たち自身が嫌っているものであり、それを嫌うようになるには、何らかのできごとがあったとみることができます。

自分の弱さを隠したい人ほど、「正しさ」にこだわるもの。

「正しさ」は、私たちの弱さを隠してくれる拠りどころになります。こうした「正しさ」を手放していくためには、自分の弱さを受け入れていく必要があります。

「正しさ」は、大切な人との親密感を壊す。

「正しさ」にこだわるほどに、周りの大切な人との親密感は失われていきます。だから、それは手放していくことが求められます。