私たちが感じる痛みのなかでも、「愛されなかった」と「愛せなかった」という痛みは、実に強いものです。それらは非対称のように見えますが、実は同じコインの裏表でもあります。
私たちが傷つくのは、大切な人に愛されなかったときであり、大切な人を愛せなかったときです。そうした経験があると、心は固く閉じてしまうものです。ただ、それはほんとうに愛されなかった、愛せなかったのでしょうか。
時候は「小満」の終わりごろになりました。七十二候では、「麦秋至(むぎのときいたる)」。麦が熟し、その黄金の穂が頭を垂れるころとされます。
先日、昼間に車で走っていたときのことです。私の住んでいる市内ですが、普段はあまり通らない道を走っていました。
私たちは自立していく中で、自分の「弱さ」を隠し、他人に見られないようにします。その「弱さ」とは、私たち自身が嫌っているものであり、それを嫌うようになるには、何らかのできごとがあったとみることができます。
「正しさ」は、私たちの弱さを隠してくれる拠りどころになります。こうした「正しさ」を手放していくためには、自分の弱さを受け入れていく必要があります。
「正しさ」にこだわるほどに、周りの大切な人との親密感は失われていきます。だから、それは手放していくことが求められます。