2019-02-01から1ヶ月間の記事一覧
今日は珍しく鉄の匂いのする場所での仕事だった。ときおり鼻にかかる、雨の匂いと入り混じった、すえたような錆の匂い。祖父の家の匂いを思い出す。
根本裕幸さんの新著、「朝9時までに1分間ください。不安が消えて、心が元気になります。」(キノブックス刊)に寄せて、書評を。
世の美しきもの。
「信頼」とは。路傍で見かけた花に贈る気持ちと、似ているのかもしれない。「かわいそう」よりも、そんな「信頼」を贈ろう。
「かわいそう」というのは危うい感情だ。「かわいそう」よりも「信頼」を、そして「応援」を贈れるようになりたいと思う。
どうやっても、あなたの光は、必ず誰かに希望の光を灯すから。その光を、わたしはずっと見ている。
言葉はいつも不完全で何か足りない。その対比ともどかしさこそ、この世界を生きる理由でもある。寂しさと欠乏感こそが、生きる理由であるように。今日もこの世界は変わらず、すべて満ち足りている。
「いま、とても悲しい」それを、たいせつな人に向けて、まっすぐに表現すること、伝えること。それができたら、きっと悲しみは昇華していくんだ。よく晴れた、あの空へ。あの日と同じ色をした、あの空に。
その写真を見たときに、私の中で何かが壊れた気がした。涙が流れる。人に見られない場所に隠れてひとしきり泣いたあとに、私はその音色に想いを寄せた。名古屋と比べるには、あまりにも涼しい7月の北の大地。
今日、ここからまた始めよう。いつでも、ここに戻ってこよう。
頂いたご質問の、「どうやって自分を癒してきたのですか?女性の側からすると、パートナーの持つ無力感・無価値観・罪悪感とどう向き合って見守ってあげたらいいのだろう?」について、回答させて頂きたいと思います。
「どうやったら手を上げるようなことを、しないようにできますか?」というご質問をいただきました。ふと考えて、この問いにお答えすることが、いまの私にとっても必要だと思われますので、今日はそれに回答させていただきます。
親の心が、プロジェクター。その心の中で輝いている「光」や、あるいは蓋をしてなかったことにしている「闇」が、子どもという真っ白なスクリーンに鮮やかに拡大して映し出される。
季節は完璧なまでに美しくめぐる。誰かが忘れていたとしても、完璧なまでにめぐっていく。その下で生きる私たちも、同じように。
この世はパラドックスに満ちている。目に見えるものの反対こそが、実は真実である場合は多い。そんな人生におけるパラドックスを、選りすぐってみた。
この世界という舞台が面白いのは、ハムレットはずっとハムレットではいられず、いつしかオフィーリアに交代しなければならないということだ。
自分が何を感じたかをたいせつにすること。それは、ひとえに自分という存在の生を、信頼することに他ならない。
「繊細さ」は、エネルギーであり、芸術性であり、中心である。それは、回っている時計や車輪の中心点だ。いまこの瞬間を、この目の前の人を、どこまで「繊細に」見ることができるのか。それによりエネルギーの質も芸術性の高さも純粋さも、変わってくる。
花は白亜紀に初めて咲いたんだよ。真冬のような冷たい風に咲く山茶花をしげしげとながめる私に、最近恐竜熱が再燃している息子が教えてくれた。
いまそこにある奇跡。考えてみれば、虹だけでもなくて目に映るものすべてがそうなのだろう。
弱みや短所と思っていることこそがその人の才能の源泉。それと強みが重ねあわさったときに、その人特有の才能が生まれる。
「自分の在り方」を考えたときに、崇高なみんなに見られても恥ずかしくない自分でないといけないと思ってしまいがちだ。けれど、そうじゃないんだ。
わたしは、そこは、歩かない。その十二文字は、まるで祝詞のようだ。
毎日更新しなくてもいいと思うんだ。それよりも、大切なことがある。自分の魅力に、自分が惚れていればいいんだ。自分の醜く汚い欲望を、自分が愛していればいいんだ。
気づけば、断酒も3か月を越えていた。
ときに春は、人の心の奥底に沈んだ思い出を、灰汁のように浮かび上がらせる。
もう、すぐに春だな。吐く白い息を手に当てながら、わたしは往く冬を惜しんだ。
補助輪、ブロック、ビリーフ、観念。私自身の補助輪も、まだまだたんまりあるけれど、それを外す過程を楽しんでいこうと思う。
一周回って、いつか来た道。けれどそれは、以前とは全く異なる道。すべての道は、ローマへと続くように。
考えてみれば、自分の可能性を広げてくれるのは、いつだって反対の極だ。いままでやってきたことが行き詰まったり、成果が出ないとするならば、「その望む場所に到達するための方法は、自分の枠の中にはない」ということの明確な証明なのだから。