2021-02-01から1ヶ月間の記事一覧
蛯名騎手、おつかれさまでした。 そして、ありがとうございました。
いつもと違う方向から世界を眺めることは、生きることに自由を与える。世界の見方が変わること、それを癒しと呼ぶこともできよう。自分の反対側に何があるのか。それに気づくと、早い。
丁寧に世界の色を観ることは、ある種の痛みを癒す。
言えることは、癒えること。出てくる言葉に、何も色をつけず。ただ、流れていくように。
子どものころ憧れた、ヒーローインタビュー。とりとめもなく、そんなことを思い出す。そんなインタビューを、していきたい。
毒が、痛みが、苦みが、あることを認めること。それは、この世界に自分が存在することを、認めることと、どこか似ている。
人生の半分の期間、寂しい夜をお酒で過ごしてきたとするならば。残りの半分は、どうしていたのだろう。ふと、そんなことを考える、断酒843日目。
名手の技が遺憾なく発揮された砂の熱戦に、そんなことをあらためて感じる、2021年のフェブラリーステークス。熱戦を制したのは、クリストフ・ルメール騎手のカフェファラオだった。
出立の日の朝に、いつもの近くの神社へ。陽の光は、どこかやさしく、あたりを包んでいた。
この青い空が、もう少しぼんやりして霞がかるころ。また、薄いピンク色をした無数の花弁が、空を埋め尽くすのだろう。そんなことを、想像しながら。まだ風の冷たい、川沿いを歩く。
母も、同じところで、いつも止まっていたように思い出す。ぼんやりとした夜に、よくピアノを弾いていた。
気雪散じて、水と為る。いつか、また水に還るように。時に雨水、春に向かう道すがら。
感情が、深いところから染み出してきたものだとするなら。人と人とのつながりを、感じさせるためのものなのかもしれない。感情は、やはり伝えるためにあるのだろうと、私は思う。
愛知県一宮市「真清田神社」を訪れた。この日は風も強く、冬に戻ったかのような、冷たい雨が滴っていた。
嗅覚は、どこか記憶を呼び起こす。嗅覚と記憶を司る期間は、近い場所にあるのだろうか。
変化を愛でるのは、生きていることの喜びともいえる。春は、もうすぐそこまで。
いまから21年前、ミレニアムの京都記念に想いを寄せ、ウマフリさんに寄稿させていただきました。
新しい季節、新しい今日の訪れとともに、開いた花を眺めるように。自らの一日を、愛でよう。それが、待つことかもしれない。
吸う~吐くではなくて、まず、吐く。それにより身体もこころも、緩むことができる。ストレッチをしながら、自分の呼吸を観察しながら、そんなことを感じる。
いつか見た色のような、それでいて、ここにしかいないような。うすべに色の、ちいさな、春。
お酒とは別の方法や場所で、お酒がつくる「場」のようなものを感じられるものは、ないだろうか。断酒を続けつつ、それをゆっくり考えて行こうと思う、断酒830日目。
一人で楽しむのもいいが、みんなで楽しみを共有するのは、また素晴らしいものだ。
腰をかがめ、汚れていなさそうなものを選んで、拾っていく。原始時代の名残か、こうした収穫作業というのは楽しいものだ。
立春過ぎて。日に日に、春の気配が感じられるようになってきた。不可逆な季節の流れは、いろんなことを教えてくれる。
立春を過ぎたある日、熱田神宮を訪れた。心なしか、参拝する方が以前よりも多かったように思う。春の訪れとともに、神社にも足が向くのだろうか。
断酒して2年と3か月ちょっと。特に体調面などには変化はなく、淡々と断酒を続けている。しかし、心情的な部分で、ふと。お酒の席の空気がなつかしく、恋しくなることがある。
今日は、春立てる日。立春である。春隣、はるとなり」。厳しい冬の寒さの中に、どこか春の気配を感じる、そんな言葉を思い出す。
今日は節分、冬と春の境目。家の外から家の内へ。敷居を跨ぐときの、その敷居。そんな存在が、節分なのかもしれない。
小さなものを、ただ眺め、愛でることだ。歩くのも、進むのも、その後でいい。