大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

2025-01-01から1年間の記事一覧

愛させてあげる、という愛の形。

自立に振れ過ぎると、周りを頼れなくなります。周りに迷惑をかけてはいけないと思うかもしれませんが、誰かを頼るというのは、自分を愛させてあげるという愛の形でもあるのです。

自立したからこそ、依存ができる。

自立の先にあるのは、相互依存と呼ばれる世界です。そこにある依存とは、自分を愛させてあげるという愛の形です。

立冬、冬立てるころに忘却を想うこと。

肌寒い、と言っているうちに、時候は「立冬」を迎えました。冬、立てる日。暦の上では、もう冬になっているんですよね。

霜月の熱田さんは、やわらかな光に満ちて。

半袖の季節はとうに過ぎて、長袖、そして羽織るものがないと、肌寒く感じるようになりました。そんな11月、霜月のはじめごろ。熱田神宮を参拝することができました。

あなたは間違えてもいないし、必要なプロセスを歩んだだけ。

自立の人が怖れるのは、そのままで愛されてしまうことです。それを認めてしまうと、いままでの自立のプロセスが、まるで意味のないもののようにかんじてしまうから。けれども、自立のプロセスは間違いでもないし、誰にとっても必要なものです。

自立の人が最も怖れるもの。

依存時代に傷ついた分だけ、人は自立します。そうして自立した人が、最も怖れることがあります。

自立の大きな勘違い。

依存時代に傷ついた分、人は自立します。その痛みには、「大切な人を幸せにできなかった」というものもあります。しかし、それはほんとうでしょうか。

自立の人が、コントロールしたがる理由。

コントロールが強いと、プロセスを楽しむことが難しくなります。このコントロールは自立の人に特徴的なものですが、なぜ自立の人がコントロールをしたがるのかについて、お伝えします。

プロセスを楽しむとは、いまを楽しむこと。

結果ではなく、プロセスを楽しむこと。そのためには、完璧主義を、そして自立を手放していく必要があります。

楓蔦黄(もみじつたきばむ)、記憶のなかの風景について。

早いもので、もう11月、霜月に入りました。時候も、「霜降」の末になりました。寒いところでは霜が降りるとされる時候ですが、平地に住んでいる私のところも、ずいぶんと気温が下がってきました。

変化が感じられなくて、しんどいときは。

いろんなことに取り組んでいるのに、変化が感じられないときがあります。そんなとき、自分を責めてしまいがちですが、「変化がある」という前提で見てみることをおすすめします。

時間は、癒しに必要な要素。

癒しのプロセスには、時間が必要です。ゆっくり変わっていく方が、いいのかもしれません。

過去もまた、愛から見ることで変わっていく。

「愛から見る」という見方をすることで、自分のさまざまな関係性を変えていくことができます。それは過去も同じで、起こったできごとへの見方を変えていくことができるのです。

愛から見る景色を、捨てないために。

どんな問題であっても、どんなできごとであっても、愛から見ることはできます。ただ、自分に余裕を持たせておかないと、それは難しくなるものです。

自己否定は、愛の裏返しでもある。

自分を否定してしまうのは、それだけ厳しい基準を自分に設けているから。なぜそんな厳しい基準を設けたかといえば、それだけ愛した勝った人がいるから。

「役立たず」という自己否定に寄せて。

「自分は役に立っていない」という自己否定をしてしまうことがあります。この自己否定について、少し考えてみたいと思います。

霜降、秋の夜長に内省といたわりの時間を。

時候は「霜降」に入りました。その字の通り、朝晩の冷え込みによって霜が降りるとされるころです。私の住んでいる名古屋では、まだ霜は見られませんが、山間部や北国では、霜が見られるようになる季節ですね。

【受付中】11月度個人カウンセリングを募集いたします!

文筆家・心理カウンセラーの大嵜直人のブログにお越しいただき、誠にありがとうございます。11月度の個人カウンセリングを募集いたします。お申し込みのほどを、心よりお待ちいたしております。

「寒い」という感覚を思い出す、秋の空。

ここ数日、急に気温が下がりました。週の半ばなどは、ぐずついた天気と相まって、最高気温が20度まで上がらず、日中でも肌寒い日になりました。

過去のできごとと向き合うのは、後ろ向きなこと?

カウンセリングでも、よく過去のできごとやその傷についてのテーマになることがあります。それは、後ろ向きなことなのでしょうか。

「判断」は、過去の痛みから生まれる。

自分自身を受け入れようとするとき、それを邪魔してしまうのが「判断」です。そして「判断」とは、過去の痛みから生まれるものです。

「判断」が、否定を生んでしまう。

自分自身の感じていることを、そのままに受け入れることが、自分を愛する一歩目です。しかし、自分の持っている「判断」が、それを阻んでしまうことがあります。

大切な人に接するように、自分自身に接してみる。

大切な人を喜ばせようとするとき、私たちは元気になりますし、無限にエネルギーが湧いてくるものです。その大切ない人に接するように、自分自身と接してみてはいかがでしょうか。

寒露の終わり、聞くことで秋の深まりを感じながら。

ようやくというか、日中も秋らしい気持ちのいい気温になってきました。朝晩はもう半袖では肌寒いので、長袖でお散歩するようになりました。時候は「寒露」の終わりあたりです。

自分自身の状態を「測る」習慣の大切さ。

自分を大切にしようと言っても、いまの自分の状態が分からなければ、なかなか難しいものです。いまの自分の状態を、自分自身に問いかけることを習慣づけてみてはいかがでしょうか。

自分を後回しにして、いいことなんて一つもない。

いろんな問題に取り組むときに、それを楽しめるかどうかは、一つのポイントになります。楽しめないようであれば、楽しめるようになるまで待つ、自分をケアしてあげるというのも、重要な選択肢の一つなのでしょう。

そのプロセスを、楽しめていますか?

自分と向き合うことは大切ですが、それには準備が要ります。そのプロセスを楽しめているかどうかが、その準備ができているかの一つの基準になるのでしょう。

「嫌い」なものとは、向き合わないといけない?

「嫌い」なものとは、向き合わないといけない、という考え方があります。それはそれで正しいのですが、まずは自分が「嫌い」と感じたことを大切にすることが、スタートラインになるのです。

相手を「嫌い」と感じることに、申し訳なさを感じるときは。

相手を「嫌い」と感じることに、申し訳なさや葛藤を感じてしまうとき。その葛藤は、才能のありかを示してくれているのかもしれません。

「嫌い」をはっきりさせることの大切さ。

好きなことをしましょう、とはよく言われるところです。しかし、好きなことを知るためには、「嫌い」をはっきりさせることもまた大切ですし、その嫌いなこととどう付き合っていくかも、また大切なのです。