2025-08-01から1ヶ月間の記事一覧
七十二侯では「天地始粛(てんちはじめてさむし)」。日中は暑いながらも、秋雨前線の名が聞こえるようになり、ようやく暑さがおさまってくるころとされます。けれど、まだまだ暑いですよね笑
今年から、近くのスポーツセンターで身体を動かすようになりました。バイクを漕いで、筋トレをして、いつも1時間くらいでしょうか。
誰かを許せていないと、私たちは自分を傷つける選択や行動で相手に復讐しようとしてしまいます。けれど、最高の復讐とは、自分が幸せになることなんですよね。
「許し」と聞くと、自分が我慢して、相手のためにしてあげる、というイメージがあります。しかし、心理的な意味での「許し」が持つ意味は、この真逆なのです。
ものごとの見方が、その人にとってポジティブに変わることを「癒し」と呼びます。そして、「癒し」をもらたすのは、「許し」なのです。
「シャドウ」が生まれるには、それなりの物語があるものです。それは悲しい物語から、愛の物語に変えていくことができるのです。
文筆家・心理カウンセラーの大嵜直人のブログにお越しいただき、誠にありがとうございます。9月度の個人カウンセリングを募集いたします。お申し込みのほどを、心よりお待ちいたしております。
処暑、残暑と呼ぶには、あまりにも暑い日が続くようです。「寒の戻り」ではないですが、またピークの暑さに戻ったかのように、厳しい暑さの日が続いているのが、私の住んでいる名古屋です。
断酒をして、一番変わったことは、お金…ではないんですよね、残念ながら。それまでお酒に使っていたお金が貯まるんだろうなー、と思っていたんですが、そんなことは全くなく笑
「シャドウ」は、隠してきた自分自身の要素を見せてくれる存在です。それは、自分の可能性を指し示してくれるともいえるのです。
自分が嫌っている要素は、どうしても隠しておきたくなります。けれども、それは強がりであり、真実の強さではありません。真の強さとは、許しのなかにあります。
「シャドウ」は、抑圧してきた自分の一部であり、生きられなかった自分自身でもあります。そうした「シャドウ」を受け入れるプロセスについて、お伝えします。
自分にとってイヤな人=「シャドウ」が周りに現れること。それは、自分にとって癒しを進めることのできるタイミングだと教えてくれているのです。
私たちは、自分のなかにあるものしか、見ることができません。周りにイヤな人がいたら、それは自分のなかにもその要素があるのです。
自分のブログを検索して振り返ってみると、断酒をはじめたのが2018年の11月だったようです。そこから7年弱(!)が経過していると思うと、時の流れの速さを感じずにはいられません。
「暑さ」としての夏はしばらくは続くとして。概念的な、というか、「風情」としての夏は、もう終わりなんですよね。日もずいぶんと短くなりましたし、夕方、外を歩いていると、それを強く感じます。
自分がすごく嫌悪感を感じる存在を「シャドウ」と呼び、それは自分が抑圧してきた部分を見せてくれるものです。こうした「シャドウ」が生まれるには、その原因となった人やできごとがあるものです。
自分の周りの人やできごとは、自分の状態を隠すことなく教えてくれます。そして、一見、最も悪く見えるものが、実は自分にとってのキーストーンになることも、少なくないのです。
線香の香りを嗅ぎながら、今年もまた、このお盆に来れたことに感謝を。お盆、夏の日。いい日になりました。
周り人や、自分の周りのできごとは、「いまの」自分の状態や心の内面を教えてくれます。それを知ることができると、どこへ行くのかを選ぶことができるのです。
どんな問題と向き合うにしても、まずは「いまの」自分の状態を知り、受け入れることが大切になります。それは、どこへ行くにしても現在地を知ることに似ているのです。
時候は「立秋」を迎えました。これ以降の暑さは、猛暑でも酷暑でもなく、「残暑」になります。
猛烈な暑さに見舞われている、葉月のはじめ。 そんな葉月に、熱田神宮を参拝することができました。 「容赦ない」という表現が当てはまるような、連日の暑さ。 屋外での行動は、もはや熱中症への最大限の警戒が必須のようです。 ただ、この日は朝から分厚い…
「被害者」の立場でいることは、いろんな問題があります。しかし、それは「依存」の心理と同じように、成長プロセスの一部としてとらえることもできるのです。
「被害者」のポジションにいると、どうしても相手に謝ってほしいと感じるものです。しかし、相手が謝ってくれたとしても、それで自分の問題が解決するかは、まったく別のお話なのです。
被害者の心理でいると、自分からは何もしなくてもいいので楽なのですが、依存的になり問題の解決が遅れます。そして最大の問題点は、被害者でいると、いつの間にか加害者の側に回ってしまうことなのです。
全て問題は自作自演です。この見方は、自分を責めるためではなく、自分が問題と主体的に向き合うためにあるのです。
問題がなかなか解決せず、煮詰まってしまったとき。そんなときに、考えてみたい視点があります。
盛者必衰といいましょうか。永遠に続くものなど何もないし、形あるものはいつか壊れる。葉月は、それを強く感じる時期なのかもしれません。
葉月になりました。葉月という呼び名からすると、新緑の5月を想像するんですが、違うんですよね。