大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

2026-02-01から1ヶ月間の記事一覧

「自信」の正体。

自分に自信を持つには、まずは自分自身を受け入れ、愛することがベースになります。ただ、それだけでは不十分で、それをベースに行動して経験を得ていくことが、真の「自信」につながるのです。

なぜ、相手や関係性をコントロールしたくなるのか?

相手や関係性をコントロールしたくなるのは、「自分に対しての自信」が関係しています。自信とは傲慢さとは違い、自分の感じていることに正直であること、嘘をついていないことからつくられるものです。

相手との関係性を、コントロールしようとしないこと。

対等な関係性を築くために、私たちにできること。それは、相手との関係性をコントロールしようとせず、まずは自分自身を尊重することです。

【受付中】3月度個人カウンセリングを募集いたします!

文筆家・心理カウンセラーの大嵜直人のブログにお越しいただき、誠にありがとうございます。3月度の個人カウンセリングを募集いたします。お申し込みのほどを、心よりお待ちいたしております。

対等でない関係性は、やがて疲弊してしまう。

対等ではない関係性は、やがて疲弊してしまいます。対等であるとは、相手を尊重することであり、それは自分自身を愛することから生まれるものです。

セキレイの声と、梅の香りと。

最近、セキレイをよく見かけます。七十二候の「鶺鴒鳴(せきれいなく)」は白露の第二候で、秋のころの時候をですが、この時期に見かけるのは、暖かくなってきたからでしょうか。

雨水、ようやく咲いた梅の花に。

時候は「立春」を過ぎ、「雨水」に入りました。 降る雪が雨に変わり、雪解けがはじまる時期とされます。 山の雪も解け始めて平地を潤すことから、農耕をはじめる時期でもありますね。 この「雨水」の時候の名は、私は好きなんですよね。 なんと言うんでしょ…

身体を動かすことも、日々のプロセスを楽しむこと。

身体を動かすようになって、ずいぶんと経った気がします。歳を重ねるごとに身体が重くなり、健康診断で「このままだとまずいよ」と怒られて、ようやく「歩く」ことから始めました。なんでしょうね、歩くってやっぱり、人間にとってすごく基本的なことで、大…

自分自身が安心してこそ、相手との関係性を築いていける。

他人との関係性を考えるとき、どうしても相手が主語になってしまいがちです。けれども、まずは自分自身が安心してこそ、相手との関係性を築いていけるのです。

自分を愛することができたら、他人なんて要らなくなるの?

自分を愛することができて、それで満たされたら、他人なんて要らなくなるのでは?と思われるかもしれません。そうではなくて、むしろそこからがスタートなのです。

欲しい愛を外側に求めても、満たされない。

欲しい愛を自分の外側に求めても、なかなか満たされません。まずは、自分自身がその愛を与えることからはじまります。

本当に愛してほしかったのは、どんな自分だったんだろう?

愛されるための「条件」を、私たちは設定してしまうものです。けれども、本当に愛してほしかったのは、そうした「条件」から外れた自分ではないでしょうか。

過去の痛みと向き合うときに大切な視点。

過去の痛みを、「悲しい物語」としてとらえることはできますし、そう見てしまうことが多いものです。けれども、それを「愛の物語」としてとらえることもまた、できるのです。

魚上氷(うおこおりをいずる)、まだ見ぬ先のことを楽しみにすること。

時候は「立春」の末ごろになりました。七十二候では「魚上氷(うおこおりをいずる)」。少しずつ緩む寒さに、川や湖の氷が溶け、その下を泳いでいた魚が見えてくるころとされます。

条件付きの愛の「条件」は、それがないと愛されないという観念。

条件付きの愛し方をしてしまうとき、その条件は「それがないと愛されない」という自分の観念を教えてくれます。それは、むやみに否定するものでもなく、そうせざるを得なかったことに寄り添うべきなのでしょう。

どんな私でも愛する、ということ。

自分を受け入れるとき、「これができたら」というような条件付きの認め方、愛し方をすると苦しくなります。条件をつけることなく、どんな自分も愛することができると、周りからもまた同じように愛されるのです。

どんな自分でも受け入れる、ということ。

「いい人」をやめるためには、判断を手放していく必要があります。そしてそのためには、どんな自分も受け入れ、許していくことが大切になります。

ずっと「いい人」でいるのは、苦しい。

ずっと「いい人」でいるのは、苦しいものです。時には、自分のなかの判断をゆるめて、悪い自分を許していくことも必要なことです。

「許せない」と感じるのは、過去の痛みが関係している。

相手を「許せない」と感じるとき、それは自分自身の観念やルールがおびやかされているときです。そして、そこには過去に痛みが関係しているのです。

【早くも3刷重版】『サラブレッド大辞典』大好評発売中です!

私、大嵜が制作に参加させていただきました書籍、『サラブレッド大辞典』(株式会社カンゼン、編著ウマフリ)が昨年12月に発売となりましたが、ご好評につき2か月で3刷重版発売開始となりました! 初心者からベテランの方まで、競馬ファンなら必ず新しい発…

黄鶯睍睆(うぐいすなく)、春の音を探しながら。

七十二候では、「黄鶯睍睆(うぐいすなく)」。その字の通り、ウグイスがその美しい声を聞かせてくれる時期です。その年の初めての鳴き声を「初音」と呼ぶように、昔の人にとっては、春の訪れを告げる大切な音だったのでしょう。

立春過ぎた熱田さんは、やわらかな光とともに。

如月のはじめ、立春過ぎたころ。熱田神宮を参拝することができました。そういえば、年が明けてから初めての参拝でした。

「許せない人」は、自分の中にある「許せない要素」を教えてくれるだけ。

「許せない人」というのは、自分自身の中にある「許せない要素」を教えてくれる存在です。だからこそ、その相手をどうこうするというよりも、自分自身をどう許していくかの方が大切なのです。

最後に許すのは、自分自身。

「許し」のプロセスは、誰かの特定の許せない相手やできごとから始まります。しかし、それを掘り下げていくと、両親、そして自分自身を許すことに至るのです。

立春、過ぎゆく季節と新しい季節と。

今日は「立春」ですね。暦の上では、今日から春。旧暦では、一年のはじまりの区切りの日でとされます。

「許し」とは、誰のためでもなく自分のためにするもの。

心理的な意味での「許し」とは、相手のためにするものではありません。それは、自分自身の生のためにする、とても積極的な生き方といえます。

相手を感情的に理解することは、「許し」へと至る道。

相手を感情的に理解していくことは、やがて「許し」へと至ります。「許し」とは、自分の人生を生きるために必要なプロセスです。

大寒の終わり、日は少しずつ長くなりつつ。

時候は「大寒」の終わり。もう来週には「立春」、暦の上では春がやってきます。