大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

やさしい心理学

生きるととは、ずっと降り注いでいた愛の大きさに気づく旅。

生きることとは、ずっと降り注いでいた愛の大きさに気づく旅といえます。その愛の大きさを、私たちはすでに知っています。

「本質」とは、自分が好きなことや愛することのなかに宿り、そして何に心を悩ませるかにも立ち現れる。

好きなことや愛することに、その人の「本質」は宿ります。そして、何に心を悩ませるかにも、その人の「本質」は立ち現れるようです。

「感情」とは、私たちを導いてくれるコンパスのようなもの。

「感情」とは、私たちをあるべき場所に導いてくれるコンパスのようなものです。「感情」の持つそんな性質と、「感情」を感じやすくするヒントについて、お伝えします。

パートナーが与えてくれないと不満に感じるものは、実は自分が二人分もっているもの。

パートナーが与えてくれないと不満に感じるものとは、実は自分が二人分持っているものです。自分が自然にできていることに価値を見ていくと、それがパートナーに与えられるギフトになっていきます。

自分を許し続けるほどに、大切な人に許可を出すことができる。

「許可」を出すこととは、その人の存在そのものに価値を見ることです。それは、自分自身に対してそのような視線を持つことで、初めて与えられるものでもあります。

前に進むためには「いまの自分を受け入れる」ことが大切であり、それは「許し」へといたる一歩目でもある。

自分がいまいるところを知らなくては、どこへもたどり着けません。「いまの自分を受け入れる」ことの大切さと、それが与えてくれる恩恵についてお伝えします。

少なくないお金を貸したけれど、返ってこないときに考えてみたい「信頼」の心理。

若かりし頃、お金を貸したけれど返ってこないということがありました。そんな苦い経験を交えながら、「信頼」の心理について少し考えてみたいと思います。

「何を伝えていないか?」という視点は、自分のなかの「真実」を教えてくれる。

ものごとの解釈がポジティブに変わることを「癒し」と呼びます。それは自分のなかの「真実」を、大切な人に伝えてコミュニケーションすることで、もたらされるものです。

全力で自分を与えようとすることは、自分が受け取れる愛のレンジを広げてくれる。

「コミットメント」とは、自分のできるあらゆる方法で、自分自身を与えようとする選択のことを指します。そうすることによって、私たちは多くのものを受けとることができるようになります。

「コミットメント」するためには選択肢が要るけれども、それは自分の価値を見続けることでもたらされる。

何かに対して肚をくくったり、強い決心をするとき、そこには選択肢が必要になります。そして、その選択肢とは、自分の価値を見続けることでもたらされるものでもあります。

「なぜ私ばっかり、自分と向き合わないといけないの?」と感じたときの処方箋。

心理学を学び、自分と向き合っていくと、「なんで私ばっかりやらないといけないの?」「損な役回りな気がする」と感じてしまうことがあるかもしれません。そんなときは、「なぜ心理学を学ぶのか?」という原点に立ち返る時期なのかもしれません。

「どうして自分はこの状況を望んだのか?」という問いは、私たちがどうしても伝えたい本音を教えてくれる。

カウンセリング的なものの見方として、「どうして自分はこの状況を望んだのか?」と問う見方があります。その問いは、私たちがどうしても伝えたい本音を、教えてくれるようです。

だれもが、いまの自分のベストをつくしている。昨日の私も、そして今日のあなたも。

誰もが、いまの自分に与えられたベストを尽くしている。その視点を持つことができると、自分にとてもやさしくできるようになります。そのためのカギになり「感情的理解」について、お伝えします。

心の「痛み」が教えてくれるものと、その「痛み」への処方箋について。

心が痛いと感じるときは、自分が「当たり前」だと思っていたことが、崩れたときであり、それは自分の心の器を広げてくれるものでもあります。そうした「痛み」の性質と、その処方箋について、お伝えします。

「判断」の心理の裏側には不安や怖れがあるが、それは実は自分自身の光を見ることの怖れ。

「判断」の心理が働くと、自分を窮屈にするばかりか、自分も相手も幸せになりません。その心理の裏側には不安と怖れがありますが、それは実は自分自身の光の部分を見ることへの怖れです。

自分を癒すことで、ずっとそこにあった愛に気づくことができるようになる。

童話「青い鳥」にあるように、たいせつなものは外にあるのではなく、そこにあることに気づくだけです。そして、自分を癒すことで、私たちはそこにあった愛に気づくことができるようになっていきます。

自分を癒し続けることで、私たちはたいせつな人に愛を与え続けることができる。

「癒し」とは、ものごとや世界の見方をポジティブに変えることを指します。自分を癒し続けることは、周りのたいせつな人に愛を与え続けることでもあります。

どんなときでも、できることがある。たとえば、だれかを「祝福」すること。

どんなに沈んでいても、自分がちっぽけだと感じたとしても。私たちには、できることがあります。それはたとえば、誰かを「祝福」することです。

「主導権争い」に気づいたときは、それを問題として捉えるよりも、「よくここまできたよね」と自分をねぎらう視点が大切。

「自立」していくと、どうしても自分のやり方や正しさで、周りと衝突することが増えます。「主導権争い」と呼ばれる心理ですが、それを問題として捉えるよりも、「よくここまできたよね」と自分自身をねぎらう視点をお伝えします。

「与える」ことの本質は自分自身が喜びの中にいることであり、それは自己否定のなかにあっても見いだせる希望である。

「与える」とは、自分自身が喜びの中にいることです。それは、どんな自己否定の泥沼のなかにあっても、「いまこの瞬間にできることは、何だろう?」と考えることで見いだせる希望でもあります。

「役割」を演じるのはしんどいものだけれども、「役割」を演じるに至ったのは大切な人への愛からではないでしょうか。

「役割」とは補償行為の一つであり、それゆえ演じるほどにしんどくなります。しかし、「役割」を演じるに至ったのは、大切な人への愛からではないかと思うのです。

「期待」してしまうほどに与えて欲しかったものは、実は自分が与えることができるもの。

「期待」とは形を変えた要求であり、隠れた依存心の表れです。それゆえに満たされることはないのですが、そこまでして欲しかったものとは、実は自分が与えることができるもの、と見ることができます。

相手を「コントロール」しようとするほどに、自分自身もまた窮屈で不自由になる。

相手を「コントロール」しようとすると、相手も自分も窮屈で不自由になってしまいます。それは、自分が傷つきたくないという不安や怖れから生まれるのですが、信頼を送ることで緩めることができます。

攻撃をしてくる人の心理と、その人とつながりをつくるための「感情的理解」について。

他人を攻撃してくる人は、ある意味でとても傷ついた人です。自分の心身を安全を保ったうえで、その人とつながりをつくるための方法についてお伝えします。

「本来の自分」とは何かを考える前に、いまの自分を受け入れることからはじめよう。

「本来の自分」とは何か?とは、誰もが一度は考えたことのあるテーマなのではないでしょうか。それを考えるヒントと、「本来の自分」に近づくごとに得られる恩恵について、お伝えします。

心が痛いと感じるのは、心が広がろうとしているからであり、そこに得るものがあるという証。

心が「痛み」を感じるとき、それは心が広がろうとしているときです。またそれは、自分にとってそこから得られるものがある、という証でもあります。

「豊かさ」とは、ゼロサムゲームではなくて、感じれば感じるほどに増えていくもの。

「豊かさ」を限られたものととらえると、どうしても競走しようとする心理がはたらきます。けれども「豊かさ」とは、決して限られたものではなく、感じるほどに無限に増えていく性質を持つものです。

たとえ許せなかったとしても、あなたの愛の美しさに何の変わりもない。

自分が幸せでないとき、それは誰かに「復讐」している心理があります。それを癒すのが「許し」ですが、許せる/許せないよりも、そこにあった愛を見つめる視点をお伝えします。

自信のなさからくる「競争」の心理は、もっと自分を愛せる、もっとパートナーと関係性を深められるというサイン。

「競争」とはパートナーや周りの人と争ってしまう心理であり、それは自分に対しての自信のなさがもたらします。けれどもそれは、もっと自分を愛せる、もっとパートナーと関係性を深められるという証でもあります。

周りの人を信頼できなかったりするのは、自分に「自信」がないときであり、「自信」とは経験と自己承認の掛け算で育まれる。

周りの人を信頼できないときは、自分に「自信」がないときでもあります。そして、「自信」とは経験と自己承認の掛け算で育まれるものです。