大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

やさしい心理学

「自立」が手放せないのは、自分のなかの依存を認めることが怖いから。

なんでも自分一人でやろうとする「自立」は、わかっていてもなかなか手放せないものです。その理由の一つに、自分のなかの依存を認めることが怖い、というものがあります。

「相互依存」とは、生きていく力と生かされている力の両方を自覚すること。

生きていく力と、生かされている力の両方が、私たちのなかにはあります。その二つの力という視点から、「相互依存」という状態について考えてみます。

感謝することとは、生かされている力に想いを寄せること。

私たちには、自分の意志で生きていく力と、自分の意志とは関係なく生かされている力があります。感謝することとは、その生かされている力に想いを寄せることです。

カウンセリングを受けると感情が解放され、それゆえに感謝しやすくなる。

感情を抑え込んでいたりすると、心に余裕がなく感謝できなかったりします。カウンセリングを受けることは、そうした感情が解放する効用があります。

感謝するために必要なのは、感情を解放すること。

感謝が大切なのは、いろんな場面で言われることですが、感謝したくてもできないこともあるものです。そんなときは、まず自分の感情を感じ切ることを優先してみることがおすすめです。

「手放し」も「許し」も、行きつく先は感謝できるようになること。

「手放し」も「許し」も、そのプロセスの先には感謝があります。それならば、先に感謝してしまうというのも、一つの方法です。

「手放し」のために必要なのは、手放すと「決める」ことであり、それは自分を大切に扱うこと。

何かを「手放す」ときに必要なのは、「決める」ことです。手放すと決めることで、自分自身に意識を向けることができるようになります。それは、自分を大切に扱うことといえます。

「手放し」が進むと、もの寂しさが出てきたりするけれど、それはとても順調な兆候。

「手放し」が進むと、もの寂しさを感じたりすることがあります。それは決して悪いことではなく、むしろ順調な兆候です。その寂しさを感じる分だけ、何か新しいものが入ってこようとしているのですから。

「手放す」とは、愛を持ったまま、距離を空けるイメージ。

何かに執着しているとき、私たちはその対象との距離が近くなりすぎています。そんなときに有効なのが「手放し」ですが、それは愛を持ったまま、その対象との距離を開けるイメージです。

「手放す」とは、相手にも自分にも自由を与えること。

「手放す」とは、相手にも自分にも自由を与えることです。それは、「もうどうなってもいい」というような自暴自棄とは違い、愛をもって相手の幸せを祈る行為といえます。

相手を束縛するほどに、愛を受けとれない心理について。

私たちは「自立」するほどに、相手や状況をコントロールしようとします。しかし、そうしたコントロールを手放していくと、いままで受けとれなかった愛を受けとることができるようになります。

「そのおかげで」を考える恩恵は、受けとるものを増やせること。

自立するほどに、私たちはいろんなものを受けとることが難しくなります。しかし、問題や困難にであったとき、「そのおかげで」という視点を持つことは、自分に与えられたものの偉大さを教えてくれるものです。

「それがあったおかげで」という点を考え続けることで、問題は財産や恩恵に変えていける。

「その問題のおかげで」という点をリストアップすることは、私たちに大きな恩恵を与えてくれます。すぐには出てこなくても、それを考え続けることで、意識を変えていくことができます。そうしていくと、問題はいつしか財産に変わります。

苦しいできごとがあったときは、「そのできごとのおかげで」という点をリストアップしてみる。

苦しいとき、辛いときにポジティブなものの見方、プラスの発想をするのは難しいものです。しかし、そんなときに効果的なのが「そのできごとのおかげで」という点をリストアップするという手法です。

闇の中で見た光は、いつまでも失われることはない。

楽しいとき、うまくいっているときは、誰でもポジティブになれるものです。しかし、苦しいときに見ることができた光は、いつまでも見失うことがありません。

目に映るできごとから、どう肯定的な見方を探せるのかは「練習」できる。

目に映るできごとはフラットであり、そこから何を受けとるのかは、自分で選ぶことができます。そして、自分にとって肯定的な見方というのは、「練習」できるものです。

表面で起きていることよりも、内面で何を感じたかったのかにフォーカスする視点。

何か「問題」が起こったときに、どうしても表面で起きている事象にとらわれてしまうものです。しかし、その「問題」が見せてくれる自分の内面にフォーカスしてくと、「問題」そのものへの見方を変えていくことができます。

「問題」とは本来の自分に戻るためのものであり、そのために感情を解放してくれるもの。

私たちが生きるなかで起こる、さまざまな「問題」。できれば避けたいものですが、見方を変えると、それは本来の自分に戻るためのものであり、そのために感情を解放してくれるもの、と見ることができます。それは、主体的に「問題」と向き合うために有効なも…

自分の才能を抑えつける「呪い」と、それを解くために「問題」があるという視点。

自分に対してのイメージや観念がずれていると、自分の「才能」を抑えつけて制限してしまうことになります。可能性を制限する観念を解くのは容易ではありませんが、時に起こる「問題」がその役割を果たすことがあります。

執着するものほど、与えられる「才能」を持っているもの。

「執着」とは選択肢がない状態であり、誰かから与えてもらいたいと思っているものです。しかし、そうした「執着」するものほど、実は自分の周りの人に与えられる「才能」を持っているものです。

「才能」とは、二重の意味で「与えられる」もの。

「才能」と聞くと、何かができたり、秀でていたり、優れていたりするものというイメージがあります。しかし、心理学での「才能」のニュアンスは、少し異なります。それは二重の意味で「与えられる」もの、といえます。

簡単に諦められないことにこそ、その人の才能は宿る。

「諦める」ことは自己受容の一つですが、簡単に諦められないことがあるのもまた事実です。しかし、諦められないことにこそ、その人の才能の種は宿ります。

「諦める」ことは、誰かとともに生きるために必要な要素。

「諦める」と聞くと、ネガティブなイメージがあります。しかし、その語源を紐解いていくと、決してそうではないことがわかります。「諦める」とは、誰かとともに生きるために必要な要素であるようです。

できないことを認めることは、大きな自己受容の一つ。

「感情はコントロールできない」といいますが、自立的な人ほど、それを認めることが苦手なものです。しかし、できないことを認めることは、大きな自己受容の一つです。

自分の感情に責任を持つことと、感情をコントロールすることの違い。

自分の感情に責任を持つことは、被害者のポジションを抜けだすことができるという、大きな恩恵を与えてくれます。しかしそれは、自分の感情をコントロールすることではありません。その違いについて、お伝えします。

「やさしさ」とはいくつもの心の風景を推し量れることであり、それは心理的な余裕から生まれる。

「やさしさ」にもいろいろありますが、他の人の心の風景を推し量れることは、「やさしさ」の一部です。そして、それは自分自身の心理的な余裕から生まれるものでもあります。

「自立」とは本当の強さではないが、強くなれる資質を必ず持っている。

なんでも自分でやろうとする「自立」は、本当の強さではないと言われます。弱さを認め、人を頼れることが、真の強さである、と。しかしその強さは、「自立」していないと得られない強さでもあります。

人の心を狂わせる「正しさ」よりも、「やさしさ」を。

心理的にみると、「正しさ」とは拒絶の手段の一つであり、周りとのつながりを壊します。それゆえに、「正しさ」と「幸せ」は反比例したりします。「正しさ」よりも、「やさしさ」を大切にしたいものです。

「信頼」とは、統合へいたる道。

「信頼」とは、ものごとのポジティブな面だけを見ることでも、ネガティブな面だけを見ることでもありません。それは、両極を統合する道といえます。

「NO」を言うかわりに、「味方でいる」ことの大切さ。

昨日に続いて、自分が望んでいない相手の行動に対して、どう向き合うかというテーマです。その行動よりも、相手の存在を愛する、という視点をお伝えします。