大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

やさしい心理学

執着が手放せないときは、「手放そう」としたことに価値を見てみる。

執着が手放せないとき、それでも「プロセスは順調だ」と思ってみることが大切です。そもそも、「手放そう」としたことに、すでに大きな価値があるのですから。

「寂しさ」や「空しさ」は、手放しが進んでいるというサイン。

「手放し」のプロセスが進むと、寂しさや空しさを感じることがあります。これは、そのプロセスが順調に進んでいるというサインなんです。

執着で握りしめた手を、そっと開くのが「手放し」。

執着と手放しのイメージについて、お伝えします。カチカチに握りしめたままなのが執着であり、その握りしめた手をそっと開くのが「手放し」のイメージです。

「いま」自分にできることを探すことは、執着をゆるめるのに役に立つ。

執着しているとき、私たちの意識は「いま」にいません。だから、「いま」できることを探し続けることは、執着をゆるめるのに非常に有効です。

どうしても執着が手放せないときは、誰かを頼るとき。

どうしても執着が手放せないとき、まず「いまの自分は」手放せないんだ、ということを認める必要があります。その上で、誰かに頼ることが必要になるタイミングでもあります。

「手放し」にいたるプロセスについて。

「手放し」にいたるプロセスについて、見ていきます。そのプロセスのなかで大切なのは、「手放す」と選択し続ける意志です。

「許し」とよく似た「手放し」、その共通点について。

「許し」とよく似たものに、「手放し」があります。その共通点について、見ていきます。

「許し」へのステップ9 ~プロセスを楽しむ、ということ

「許し」には、長い時間がかかるものです。そのプロセス自体を楽しむ、という感覚を持つことができると、「許し」の道は加速していきます。

「許し」へのステップ8 ~許しの最後は、忘却

忘れることは、「許し」のプロセスの一つの到達点です。それが気にならなくなっている自分は、日々何をしているのか、そんなことイメージしてみるのも、「許し」のプロセスを進めるには有効です。

「許し」へのステップ7 ~軽さが罪悪感を祓う

「許し」のプロセスが進むと、軽やかさがでてきます。その軽やかさは、罪悪感を打ち払ってくれるものでもあります。

「許し」へのステップ6 ~「おバカ」になるのが、許しへの近道

「許し」は、頭(思考)でするものではありません。損得勘定を越えて「おバカ」になることが、「許し」への近道なんです。

「許し」へのステップ5 ~許すことで得られるギフト

「許し」は、多くのギフトを私たちに与えてくれます。許すことで、私たちははじめて自分の人生の舵を取れるようになるのです。

「許し」へのステップ4 ~自分への許しがもたらす恩恵の大きさ

「許し」は、とても大きな恩恵を私たちに与えてくれます。そのなかでも、自分を許すことは、特大の恩恵を与えてくれるものです。

「許し」へのステップ3 ~許せない自分を、許す

許そうと思っても、許せないこともあるものです。そんなとき、「まずは許せない自分」を許す、という方に目を向けてみることをおすすめします。

「許し」へのステップ2 ~「許し」は長距離走、あせらずじっくりと。

「許し」のプロセスは、長距離走のようなものです。早く完璧に許せるようになろうとするよりも、そのプロセスを楽しむくらいでちょうどいいのです。

「許し」へのステップ ~その4つプロセスについて

「許し」とは、相手やできごとを自分が主体的に受け入れていく心のはたらきを指します。そうした「許し」の境地にいたるためのプロセスについて、お伝えしていきます。

自分を深く愛するための、「許し」。

心理学においての「許し」とは、誰かに許可を出すものではありません。それは、自分のためにするものであり、自分を深く愛する行為の一つです。

してはいけないことをしてしまうのもまた、私たちだから。

ダメなことをしてしまったことを責めるよりも、それを許す方が、楽に生きられます。それは、自分にとっても、相手にとっても、です。

自分責めをしないことに注力するよりも、してしまったときの対処法を考えておく方がいい。

禁止や否定をするほどに、私たちの心はそれにとらわれてしまうものです。大切なのは「しないこと」ではなく、「それをしてしまったときの対処法」です。

「投影」を通じた、自分の感情の気づき方。

自分が何を感じているのかを知るために、「投影」の視点が役に立ちます。この視点を使うことは、実に大きな恩恵を私たちに与えてくれます。

感情を感じることと、そこからどんな行動を選ぶのかは、まったく別のもの。

感情は、ただそのままに流れのままにしてあげるほかありません。けれども、そこからどんな行動を選ぶのかは、別のお話なんです。

自分の感じていることを表現することは、ワガママではない。

自分の感じていることを表現することは、決してワガママなことではありません。それは自分を尊重するために必要なことであり、そのために安全な方法を選ぶことが大切になります。

自分自身を尊重するとは、「感じる」ことと「表現する」こと。

自分自身を尊重するとは、どんなことでしょうか。自分に与える、という意識もそうですが、最も根本的なのは「感じる」ことと、それを「表現する」ことです。

相手との「対等性」を築くためには、自分が自分を尊重することに尽きる。

相手との対等な関係性を築きたいと思ったとき、その関係性をコントロールしようとしても、なかなかうまくいきません。「対等性」を築くためには、自分が自分を尊重することに尽きるのです。

手放しのプロセスのなかで求められるのは、相手との「対等性」。

執着を手放すためには、相手との対等性が重要になります。臆病になり過ぎず、かといって傲慢にならず。自分と相手を対等に扱うことが求められるのです。

相手から愛されない怖れとは、自分が愛せない怖れの投影である。

手放しのプロセスでは、相手から愛されない怖れを感じることがあります。その怖れとは、実は自分が相手を愛せない怖れの投影だったりします。それゆえ、どんな怖れであっても、自分が解消していけるものなのです。

手放そうとしているからこそ、怖さもまた感じるもの。

執着を手放そうとするとき、怖さを感じるものです。しかし、それは手放そうとしているからこそ感じるものであり、手放しのプロセスを歩んでいる証拠でもあります。

執着を手放すとは、相互依存へといたる道。

執着を手放すという心のはたらきは、自立から相互依存にいたるステップに似ています。それは、自分にも相手にも自由を与えることのできるプロセスです。

「手放し」を阻むのは、コントロールしたがる自立の癖。

執着は手放しましょう、とよく言われます。しかし、自立のコントロールしたがる癖があると、なかなか難しかったりします。だから、執着を手放すには、自己肯定感を上げることが欠かせません。

「執着」の処方箋は手放すことであり、それは好きなまま距離を空けること。

「執着」をやめるには、「手放し」がその処方箋になります。そして「手放し」とは、その対象を好きなままに、距離を空けることで、自分自身に自由を与える心のはたらきです。