大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

やさしい心理学

「自信」の正体。

自分に自信を持つには、まずは自分自身を受け入れ、愛することがベースになります。ただ、それだけでは不十分で、それをベースに行動して経験を得ていくことが、真の「自信」につながるのです。

なぜ、相手や関係性をコントロールしたくなるのか?

相手や関係性をコントロールしたくなるのは、「自分に対しての自信」が関係しています。自信とは傲慢さとは違い、自分の感じていることに正直であること、嘘をついていないことからつくられるものです。

相手との関係性を、コントロールしようとしないこと。

対等な関係性を築くために、私たちにできること。それは、相手との関係性をコントロールしようとせず、まずは自分自身を尊重することです。

対等でない関係性は、やがて疲弊してしまう。

対等ではない関係性は、やがて疲弊してしまいます。対等であるとは、相手を尊重することであり、それは自分自身を愛することから生まれるものです。

自分自身が安心してこそ、相手との関係性を築いていける。

他人との関係性を考えるとき、どうしても相手が主語になってしまいがちです。けれども、まずは自分自身が安心してこそ、相手との関係性を築いていけるのです。

自分を愛することができたら、他人なんて要らなくなるの?

自分を愛することができて、それで満たされたら、他人なんて要らなくなるのでは?と思われるかもしれません。そうではなくて、むしろそこからがスタートなのです。

欲しい愛を外側に求めても、満たされない。

欲しい愛を自分の外側に求めても、なかなか満たされません。まずは、自分自身がその愛を与えることからはじまります。

本当に愛してほしかったのは、どんな自分だったんだろう?

愛されるための「条件」を、私たちは設定してしまうものです。けれども、本当に愛してほしかったのは、そうした「条件」から外れた自分ではないでしょうか。

過去の痛みと向き合うときに大切な視点。

過去の痛みを、「悲しい物語」としてとらえることはできますし、そう見てしまうことが多いものです。けれども、それを「愛の物語」としてとらえることもまた、できるのです。

条件付きの愛の「条件」は、それがないと愛されないという観念。

条件付きの愛し方をしてしまうとき、その条件は「それがないと愛されない」という自分の観念を教えてくれます。それは、むやみに否定するものでもなく、そうせざるを得なかったことに寄り添うべきなのでしょう。

どんな私でも愛する、ということ。

自分を受け入れるとき、「これができたら」というような条件付きの認め方、愛し方をすると苦しくなります。条件をつけることなく、どんな自分も愛することができると、周りからもまた同じように愛されるのです。

どんな自分でも受け入れる、ということ。

「いい人」をやめるためには、判断を手放していく必要があります。そしてそのためには、どんな自分も受け入れ、許していくことが大切になります。

ずっと「いい人」でいるのは、苦しい。

ずっと「いい人」でいるのは、苦しいものです。時には、自分のなかの判断をゆるめて、悪い自分を許していくことも必要なことです。

「許せない」と感じるのは、過去の痛みが関係している。

相手を「許せない」と感じるとき、それは自分自身の観念やルールがおびやかされているときです。そして、そこには過去に痛みが関係しているのです。

「許せない人」は、自分の中にある「許せない要素」を教えてくれるだけ。

「許せない人」というのは、自分自身の中にある「許せない要素」を教えてくれる存在です。だからこそ、その相手をどうこうするというよりも、自分自身をどう許していくかの方が大切なのです。

最後に許すのは、自分自身。

「許し」のプロセスは、誰かの特定の許せない相手やできごとから始まります。しかし、それを掘り下げていくと、両親、そして自分自身を許すことに至るのです。

「許し」とは、誰のためでもなく自分のためにするもの。

心理的な意味での「許し」とは、相手のためにするものではありません。それは、自分自身の生のためにする、とても積極的な生き方といえます。

相手を感情的に理解することは、「許し」へと至る道。

相手を感情的に理解していくことは、やがて「許し」へと至ります。「許し」とは、自分の人生を生きるために必要なプロセスです。

自分の扱いが変わると、他人を見る見方も変わる。

自分が自分をどう扱うかは、周りの人との関係性にも影響します。自分を深く愛し、許し、大切にすればするほど、周りの人を深く愛し、許し、大切にできるようになるのです。

自分を粗末に扱ってしまう裏側には、どんな愛があるのだろう?

自分を粗末に扱わない方がいい。けれども、もしそう扱ってしまったとしたら、それを責めるのではなく、その裏側にはどんな愛があるのだろう?と考えてみる視点が必要です。

自分が周りにどう扱われるかは、自分が自分をどう扱っているかと密接に関係している。

自分が周りにどう扱われるかは、「自分が」自分をどう扱っているか?と密接に関係しています。自分自身の扱いは、周りに「そのように扱ってください」というメッセージになるのです。

感情を感じることは、自分自身との対話でもある。

感情を感じることは、自分自身の心の声を聞くことでもあります。それは、他人とのコミュニケーションの礎になる、とても大切なことです。

感情を感じること自体が、偉大な癒し。

感情を感じることは、それ自体が偉大な癒しです。逆に、感情を感じることが少なくなってきたら、要注意と言えます。

感情はコントロールできないから、ただ流れていくのに任せるだけ。

感情はよく天気にたとえられるように、それをコントロールしようとすると、おかしなことになります。私たちにできるのは、それを感じて、ただ流れていくのに任せることだけです。

感情には、時間の概念がない。

感情には、時間の概念がないと言われます。過去に抑圧してしまった感情は、時間が経ったとしても、癒していくことができるのです。

ネガティブな感情だけを感じないようにすることは、できない。

ある感情を感じないようにしていると、その他のポジティブな感情も感じづらくなります。ネガティブな感情もまた、自分の大切な一部であり、それを感じることは自分を愛することの一部です。

自分の気持ちを無視した先には、何もない。

「正しさ」で相手を責めるのは、よくないものです。けれども、責めたくなる自分の気持ちを、無視しないようにしたいものです。

相手を責めたくなるのは、自分の「正しさ」が揺さぶられるから。

相手を責めたくなるとき、それは自分のなかの価値観が揺らぐときであり、特に「正しさ」が揺さぶられるときです。それは、自分のなかの傷を癒すタイミングを教えてくれるものでもあります。

相手を責めるその矢は、自分に戻ってくる。

正しさで相手を責めるとき、その矢は自分自身にも戻ってきます。相手を責めることをやめるのは、自分自身のためでもあるのです。

目に見える言動ではなく、その裏側にある感情に目を向ける。

相手との関係性をよくしようと思うとき、想像力は大きな要素です。目に見える言動ではなく、その裏側にある感情に目を向ける、ということができるかどうかです。