人の縁とつながり
私たちが何気なく、「当たり前」にしていることは、思ったよりもすごいことかもしれない。人に話すということは、その「当たり前」の概念を破壊してくれる。「当たり前」が「当たり前」でないように見ること。それを、「価値を見る」と言い換えることもでき…
嫉妬。その言葉が脳裏をよぎった瞬間、気分が悪くなった。小さな我が子に、嫉妬している?不惑も近くなって?どうしようもなく恥ずかしいが、どうやらそうらしい。
アガパンサス。霧雨に濡れる姿が、美しかった。紫陽花といい、紫の色の花には、なぜ雨が似合うのだろう。
瞬間の積み重ねは、永遠なのだろうか。それは時間の流れと同様に、どうも疑わしい。いまある瞬間、それが永遠のようにも思える。あの日、あの場所を訪れた私は、いまもそこにいる。
願いも、望みも、目標も、なくてもいい。ただ、揺蕩うように。ありのままを、ただそのままに。そうしていると、時に誰かの望みを叶えていることもあろう。
ラジオから流れる投手戦は、まだ続いていた。あの頃の小さな私も、エースの力投に声援を送っているのだろうか。この大きな高架下を過ぎれば、もうすぐ名古屋駅だ。
それにしても、子どもというのは親がしたくてもできなかったことを叶えてくれる。もしも、小さな私が、「いつか君は、カブトムシやクワガタを幼虫から成虫まで育てることができるんだよ」と聞いたら、どんな顔をするだろう。
今日はKADOKAWA(アスキーメディアワークス)出版、飯尾淳子さん・飯尾さとみさん著、「京都のお酢屋のお酢レシピ」に寄せて書いてみたい。ここで何度も紹介させて頂いている京都・宮津の飯尾醸造さんのお酢を使ったレシピ本である。
桜の花弁は、愛にも似ていた。それを摘んでしまえば、眺めていたものではなくなる。それを自分のものにしてしまえば、とたんに色褪せる。
エリー。不意に口ずさんでいたのは、あの頃の私だった。フロントガラスの向こうでは、梅雨時期らしくない入道雲が見えた。
もしも、世界が音であったなら。根本理加さんのクリスタボウルに寄せて。
毎年、息子は私にそれをまざまざと見せてくれる。問題を解決しようとするよりも、ビジョンを観ることを。今年は、そんなことを想いながら、ハンドルを握る私は我慢できずにあくびを繰り返す。
今日は、ある方の言葉を、ふと思い出した。元気にしているだろうか。その方に向けて、手紙を書いてみようと、思った。
この時期の雨は、どこか優しい。日に日に上昇する気温に身体が堪えることも多いが、その火照りを冷ましてくれるようだ。雨に対する想いは、そのまま自分自身の状態でもある。
子どもは、親がしたくてもできなかったことを、してくれる。息子も、そして私も。
ひょっとしたらその記憶は、今日と同じ「昭和の日」だったのかもしれない。水面の色に、そんな過ぎゆく日を思い出す。そんな、令和はじめての「昭和の日」だった。
いつか、どこかで。また、会えるような気がするならば。忘れるということは、できはしないようにも思う。
また、あのブルーベリーの実る丘から、琵琶湖を眺めるのを楽しみに。そのジャムとパンの味に癒されながら、その日を楽しみに。
もしかしたら。クッパは、マリオに「負けてあげていた」のかもしれない。マリオが勝ちやすいように、わざわざ舞台を整えて。負けてやれ。 花を持たせてやれ。自立を、手放して。勝たせてやれ、と。
インターネットも、パソコンも、スマホも、コロナウイルスもなかった子ども時代を過ごした私たちが、いったい子どもたちに何を教えられるのだろう。何を、与えられるのだろう。つくづく、そう思う。
"Stay home"ならば、"Talk someone"が必要だ。誰かと、話そう。また、笑顔で飲みに行くために。
息子が要求してくることは、すべて私に必要なものなのだろう。私が父にしてほしかったことを、息子にさせてくれようとしている。与えてほしかったことを、与える機会をくれているのかもしれない。
幼稚園から小学校に上がるときに転校した私は、なかなか小学校の友だちというものができなかった気がする。一人で壁当てをしながら、寂しさを噛みしめていた。そんな私の寂しさを、マリオはいつも癒してくれていたのかもしれない。
やりたいことに、わがままであれ。好きなことに、愚直であれ。理に、流され過ぎることなかれ。そして、童心を、忘るることなかれ。小さな施工主からの教えを、私は再度反芻する。
SNSで、たいせつな友人の方が、玉置山の画像をアップしたのを見てしまった。私のこころは、そぞろに。一年前に訪れた、あの玉置山へと飛んで行ってしまった。
ナビなしで走ってみるのも、たまには悪くない。「道に迷う」ということは、人間にしかできないことなのだ。そして、その道中で、忘れていた愛のかけらを見つけることもあるだろう。
おめでとうございます。そして、ありがとう、ジュンコさん。あなたのおかげで、ここまで来れました。
ただ、そこに愛があっただけなのだろう。罪悪感の大きさと、同じくらい深い、愛が。
母を想うとき、私は不在を想う。それは、母そのものの不在でもあり、もしかしたら、母とともにいたはずの自分の不在なのかもしれない。
冷たい雨は、変わらずアスファルトを濡らしていた。3月10日が、流れていく。