四季五感
朝晩ずいぶんと冷え込むようになって、いよいよ真冬が訪れてきたようです。 そんな中で、白く小さな花が過ぎゆく秋を惜しんでいるようでした。
気付けば12月、師走になりました。そんな師走ついたちの朝、冷たい風の吹く空に、虹を見かけました。通学団の小学生たちと、その虹を見上げて喜ぶ師走の始まりでした。
春のころに現れた虹が、冬の訪れとともにかくれる。 季節のめぐり、空の移り変わり、人のありよう。 かくれた虹を探しながら。 ずいぶんと冷たくなった風の感触を、確かめていました。
今日から立冬の節気に入りました。 暦の上ではもう冬が始まり、木枯らしが吹いて木々の葉は落ち、初雪の報せが聞こえるころです。
凛とした寒さも、弛緩させる陽気も、どちらも味わえる素晴らしさ。 日々移ろいゆき、千変万化するギフトのようです。
時に秋分。 あるいは七十二侯では、菊花開(きくのはなひらく)の時候に入りました。その名の通り、菊の花たちが咲き誇る時期です。
時に寒露。 朝晩の冷え込みが感じられ、露が冷たく感じられる時候です。夜がだんだんと長くなりますが、日中は涼しく、過ごしやすい気候が続くころでもあります。
10月に入って、また空の色が少し変わったようです。 一年で最も気持ちのよい時候の一つである、今日この時間を愛でたいものです。
七十二侯では、今日から「蟄虫坏戸(むしかくれてとをふさぐ)」。 寒さを覚えた虫たちが、地中に姿を隠したり、その準備をはじめる時候です。
今年の彼岸花は、どこか心の奥底をじわりと染めるような、そんな赤い色をしていました。 また、来年のお彼岸に逢えることを、たのしみに。
人は、何かになろうと躍起になったりするけれど。 そんなことをしなくても、流れに任せていると、ただ、そうなっていくのかもしれません。 なろうとするのではなく、ただ、そうなるだけ。
雨上がりの午後、川沿いを歩きました。 夏の間、あれほど騒いでいた蝉の声は、もうどこにもなく。 湿り気を帯びながらも、ひんやりとした空気が、季節の移ろいを感じさせます。
時に白露。 徐々に朝晩の気温が下がり、草木に降りた露が白く光って見えることのある、秋の入り口。 七十二侯でも草露白(くさのつゆしろし)の名が付けられている通り、草木に降りた露に夏から秋への移り変わりが感じられる時期でもあります。
季節のめぐりというのは、不思議なもので。 季節のめぐりを眺めていると、永遠に続くものなど何もないし、それでいて、失われることは幻想だと感じることができるようです。
秋は、どこか暖色の思い出と重なる。 それは路傍の花の色や、見上げる月の色に、橙や黄を多く見ることと、関係があるのだろうか。 秋は、どこか暖色をしている。 記憶の中の秋もまた、夕暮れのやわらかな陽射しの色をしている。
それにしても、久石譲さんの「Summer」はいい。 夏の透明感、その終わりの寂しさ、美しさ。 「Summer」を聴いていると、過ぎゆく夏の寂しさもまた、これでよかったのだと思えてくる。
今日から「処暑」。 厳しい暑さも峠を越して、徐々に朝晩は涼しい風が吹き始める時候。 七十二侯では「綿柎開(わたのはなしべひらく)」、綿の花のがくが開き始め、中の綿毛が見え始めるころとされます。
はじまりは、いつも雨。 珠玉の名曲のタイトルを思い出しながら、傘を開く。 開いたその傘を叩く音が、心地よかった。
時に立秋。あるいは「寒蝉鳴、ひぐらしなく」の頃になりました。 「カナカナカナ…」という、ヒグラシの声。そのもの悲しい調べは、否が応でも夏の終わりを感じさせてくれるようです。 しかしながら、私はヒグラシとは縁がないようで、ほとんどその姿と声を聞…
暦の上では、秋立てる日を迎えました。 七十二候では「涼風至、すずかぜいたる」、徐々に秋の涼しい風が吹き始める時候。
あの色の空は、またどこかで見られるのだろうか。いや、以前にどこかで見たのだろうか。 そんなことを想いながら。ただ、夏が過ぎゆくのを、そのままに感じるのです。
ただ、見上げているだけで。 いま、この時間が、とても豊かで、満たされて、いとおしく想える。 そんな、感覚。 それは、幸せの形に、少し似ています。
夏らしい夏の気候の時期は、ほんとうに短いものだな、と。だからこそ、この蒸し暑さも、楽しみたいものです。この目の前の、小さな紫の花のように。
いつか、今日この日も、思い出に変わるのでしょうか。それもまた、うれしく、また、せつなく。
大暑、いのちの輝き。その盛りは、終わりが近いからこそ、輝きを増すのかもしれません。
時に大暑、一年のなかで最も暑さが感じられるころ。あるいは、「桐始花結(きりはじめてはなをむすぶ)」。古来から神聖な木とされてきた桐の木が、その花を咲かせるころ。
この時期の空を見上げていると、はるか昔の子どもの頃の記憶を思い出します。世界はどこまでも、広がっていきそうな、そんな解放感。どうしたって、夏が好きです。
流れゆく雨水がどこかいとおしく、それでいてはかなく思えてもくるようです。それは、もう過ぎ行く梅雨を惜しむことと、どこか似ているのかもしれません。
移り変わりゆくものの中に、人は永遠を見ることができます。 去りゆくものの中に、人は望郷を覚えることができます。 さびしさと痛みの中に、人はいとおしさとあたたかさを感じることができます。
見れば夏の夕焼けが見えていた。 清涼感のある、オレンジ色のグラデーション。生命力に満ちた、夏の一日が終わる。明日は、蝉は鳴いているだろか。