大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

季節がめぐるように、心もまた再生を繰り返す。

たとえ、あなたがいま燃え尽きたように感じていたとしても。たとえ、あなたが受け止められないような悲劇に出会ったとしても。それを糧にして、希望を抱くことができる日が、必ずやってきます。

燃え尽きたとしても、心は何度でもよみがえる。

「燃え尽き」の状態になると、もう何もかもが終わったように感じるものです。しかし、終わりとはじまりは同じ場所にあるようです。燃え尽きたとしても、何度でも心はよみがえります。

降り続く雨の日々にも、空を見上げる時間は必要かもしれない。

空を見上げること。何かを見上げること。それは、降り続く雨の日々にあっても、大切なことのようです。私たちを自然に笑顔にしてくれるようですから。

【受付終了】3月度個人カウンセリングを募集いたします!

3月度の個人カウンセリングを募集いたします。あなたさまのお話をお伺いできますことを、心より楽しみにしております!

燃え尽きたように感じるのは、あなたにそれだけの情熱があるから。

「燃え尽きた」ように感じるとき、無気力な自分を責めてしまうものです。しかし、真実はその逆で、「燃え尽きた」ように感じるのは、それだけ誰かを大切にしたい想い、情熱があったからです。

「怒り」は、感情を抑圧しているときに出てくるサイン。

感情を抑圧するとき、人は「怒り」を使います。それが続くと、無気力、無感動な状態になってしまうこともあります。「怒り」は、感情を抑圧しているサインといえます。

「問題」は、抑圧してきた感情を解放するために起きるもの。

本来の自分から離れると、感情を抑圧しやすくなります。私たちが生きる中で起こる「問題」は、そうして抑圧された感情を解放するために起こるものと見ることができます。

「問題」が起こるプロセスと、それが教えてくれるもの。

私たちは生きる中で、さまざまな「問題」に出会います。その対処法や解決策が気になるものですが、少し大きな視点で、「問題」が起こるプロセスと、その意味について考えてみます。

「歩く」という行為の不思議さと、引き寄せについて。

類は友を呼ぶではないですが、好きなことをしていると、同じ波長の人が引き寄せられるようです。やはり、好きなことをすることは、大切なようです。

慢性的な問題と向き合うには、まずは「私が大切なもの」を受け入れるところから。

慢性的な問題は、それだけ自分のコアな価値や才能を教えてくれます。それだけに向き合うことが大変なものですが、まずは「自分が何を大切なのか?」を受け入れることをおすすめします。

降る雨は、暖かさを含んで。

降る雨に、暖かさを感じるようになりました。時候は、「立春」から「雨水」へと移り変わるころ。降る雪も雨に変わり、雪解けとうるおいをもたらすころです。

「道ゆく人に祝福を贈る」という習慣。

「道ゆく人に祝福を贈る」という習慣のご紹介です。その祝福はめぐりめぐって、自分自身に還ってくるものです。

なかなか解決しない「問題」ほど、自分自身の才能のありかを教えてくれる。

何をもって「問題」とするのかは、その人の価値観、人生観、センス、パーソナリティに依るものです。それゆえ、なかなか解決しない「問題」ほど、自分自身の才能のありかを教えてくれるといえます。

「癒し」とは、ものごとの見方がポジティブに変わることを指すが、それは問題と他者が運んでくる。

「癒し」とは、ものごとの見方がポジティブに変わることを指します。そしてそれは、「問題」と「他者」が運んでくるものです。

自己受容と癒しは、車の両輪のようなもの。

自己受容と癒しは、車の両輪のようなものです。自分を受け入れよう、自分を愛そうとしても難しいときは、自分を癒すことに目を向けてみることをおすすめします。

「根拠のない自信」は、愛された記憶から生まれる。

自分を肯定する上で大切な「根拠のない自信」は、愛された記憶から生まれます。もし「そんふうに思えない」と感じても、だいじょうぶです。生きるとは、愛を思い出す旅なのでしょうから。

自分に軸を置くポイントは、「根拠のない自信」。

自分を肯定する基本は、「いま、ここ」にいる自分を受け入れることであり、他人ではなく、自分に軸を置くことです。そのポイントとなるのは、「根拠のない自信」です。

あなたはどこにでも行けるし、どこにも行かなくてもいい。

本来、人はどこにでも行けるし、どこにも行かなくてもいいんです。自分を受け入れることで、その自由な場所に立つことができます。

自己受容をベースとした行動のすすめ。

「いまの自分を受け入れる」ことは、必ずしも「そのままでいい」「何もしなくてもいい」ということではありません。自分を受け入れることの先に何を描くのかが、とても大切なことです。

「いまの自分を受け入れること」と「自分を甘やかすこと」の違いは、どこにあるのか?

自己肯定の第一歩は、いまある自分を受け入れること。しかし、それを「自分を甘やかしている」と感じてしまうことがあるものです。「自分を受け入れる」と「甘やかす」の違いについて、考えてみます。

いまあるものを「指差し確認」するだけでも、心は落ち着きを取り戻す。

いまここにあるものに目を向けることは、心を落ち着かせるための有効な方法の一つです。自分の心が揺れて不安なときに、私がしていた「指差し確認」とあわせて、お伝えします。

いまここにあるものを認めることが、自己肯定の第一歩。

自分を肯定する理由を、他人との比較や成果に置いてしまうと、苦しいものです。 そうではなくて、「いまここにあるものを認める」ことが、自己肯定の第一歩です。 1.形になっても、ならなくても 2.トーナメント方式の自己肯定には無理がある 3.あるも…

「才能」の認め方と、パートナーシップの受け入れ方の相似。

「才能」と聞くと、それを何か形にしたり、結果を出したりしないといけない、と感じてしまうものです。けれども、そうではありません。それは、パートナーシップのすばらしさとよく似ているようです。

【ご案内】根本裕幸師匠のお弟子8期の皆さまが、モニター募集をされておられます!

私が心理学・カウンセリングを学んだ根本裕幸師匠のお弟子のみなさまが、モニターを募集されていますので、今日はそのご案内をさせてください。

春立てる、霞の空に。

春立てる日。その空は、冬の凛とした色から、少しだけ透明感が落ちたように感じます。

「才能」の表れ方 ~クレーマーの才能、嘘をついてしまう人の才能

自分にとって当たり前のようにしてしまうことこそ、「才能」といえます。そうした「才能」のあらわれ方を、具体例を含めてご紹介します。

選んでいないものを受け入れる覚悟と、想像以上の恩恵を受けとることは、表裏一体。

自分でなんでもしようとするのは、「自立」の心理です。しかし、自分で選んでいないものも受け入れようとすると、それ以上に素晴らしい恩恵が与えられたりするものです。

如月の熱田さん、冬の雨は暖かく。

睦月が過ぎ去り、ゆるりと如月がやってきたようです。まだ最も寒い時候なれど、季節の分かれ目、節分ももうすぐ。そんな如月のはじめ、熱田さんを訪れることができました。

自ら選んでいないものを受け入れることで、私たちは自立を手放していくことができる。

自分で選んだことに責任を持つのは、「自立」です。それはとても素晴らしいことですが、自分で選んでいないことを受け入れていくことは、私たちをさらに成熟させてくれます。

自分が選んでも望んでもいないのに与えられた資質や才能を、受け入れるためのヒントについて。

「才能」があるがゆえに思い悩んだり、自分を責めたりすると、「そんな才能なんて要らなかったのに」と感じることもあるのでしょう。そんなときに、考えてみたい視点をお伝えします。