大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

源泉かけ流しの、あたたかいあの場所

それにしても、よく降りますね。

東京ではこの時期としては、数十年振りの気温の低さだそうです。

また太平洋沿岸では、12年ぶりに黒潮が例年通るルートを迂回する「黒潮大蛇行」が12年ぶりに確認されているそうです。暖かい黒潮が蛇行すると、関東地方に寒気が流れて雪が降りやすいという研究もあるそうですね。

黒潮が蛇行すると豊かな漁場が沿岸から沖合の方に離れていってしまい、沿岸漁業に大きな影響が出ます。前回の2005年に発生した際には、シラス漁が記録的な不漁となりました。

 

せっかくなので、まずはこちらをどうぞ。

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生シラスの沖漬けです。キリッと冷えた辛口の冷酒とあわせてどうぞ。

このあたりは三河湾、伊勢湾、そして静岡と、よいシラスの漁場に恵まれていますので、ありがたいことです。早く黒潮の蛇行が終わってもとの潮流に戻るように、祈るばかりです。

さて一息つかれたところで、今日の言葉をどうぞ。


 

ここのところ、しばらくぶりの友人や、憧れの人から立て続けにメッセージや連絡があって、とても嬉しかった。SNSの恩恵ももちろんあるのだけれど、それ以外のツールでも。

なんでかな。

と考えていたけれど、何のことはない。

ただ、自分からメッセージを送っていただけ。

開いて与えた分だけ、受け取れる。

感謝されたかったら、感謝する。

尊敬されたかったら、尊敬する。

愛されたかったら、愛する。

鏡の中の相手は、決して自分からは笑わない。

難しいのは、見返りを求めてそれをすると、それが返ってくるまでの時間差が我慢できなくて続かないこと。深くて大きなものほど、返ってくるのには時間がかかるのかもしれない。

 

だから、無理をして自分に嘘をついて偽って、常に感謝しなくても、尊敬しなくても、愛さなくても、いいんだ。

暴れていい。

私はずっと光だけを求めて、影をなくそうとしてきたけれど、順番が逆だったような気がする。

影の存在を認めると、溢れる光が感じられるようになる。色濃い日陰があるのは、まぶしい夏の陽射しがそこにあるから。

自分の中のネガティヴな感情を否定せずに寄り添うと、必ずその奥にある、尽きることのない温かい源泉かけ流しの場所にたどり着く。

ときに私は刺激が欲しくて水風呂に浸かりに行ってしまうけれど、何度でも戻って来ればいいよね。

ほのかに温かいあの場所に。

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2017.5.23


 

天に向かって唾を吐く、のことわざではないですが、自分の出したものが返ってくるというのは、誰しもが理屈抜きでなんとなく思っていることではないでしょうか。

「アンタ、ほんと最低ね!」

とのたまえば、相手は必ずご期待に沿って最低なことをしてくれます。

「お前は本当に使えねえな」

とボヤいていれば、部下はきっちりと使えなくなってくれます。

「今回は助かったよ、ええ仕事するなぁ」

と感謝していれば、部下はもっとええ仕事をしてくれるでしょう。

「アナタと一緒にいられて、本当によかった。」

と伝えていれば、相手は本当に一緒にいられてよかったと思えることをしてくれます。

出したものが返ってくる、単純な法則ですね。

そして、これは手を変え品を変え、いろんなところで語られます。昔話でも、ことわざでも、心の世界でも、ビジネスでも、お金にまつわる話でも。ゆえに、多くの人が「まあ、そうなんだろうな」と納得する内容なのでしょうね。

 

さてそれはそうなのですが、いえ、そうだからこそ、「いいこと」のみを出そうとすると、途端に苦しくなります。

「何でそんなミスすんねん、自分!ホンマ、ワシがやった方が早かったわ!」

「アンタ、何してくれてんのよ!アホちやうの!」

と悪態つきたくなるのが人情です。悪態をついてしまうと、それが返ってくるからダメだよな、と禁止することは、吸った息を吐かないようにストレスがたまりますね。

それを隠して、「ええよ、ええよ、ありがとな」って言ったところで一緒です。どれだけ繕ってみても、言葉以外の雰囲気、表情、仕草、オーラといったものを人は敏感に察知します。むしろ自分が感じたことと反対の反応をすることに、心は疲弊していってしまうでしょう。

 

じゃあ、どうしたらいいの?

私はよくこの迷路に入ってました。

自分の感じたことに正直になることと、感情との付き合い方、そしてネガティヴなコミュニケーションをどう取るか、とでも表現するべきでしょうか。

今日の言葉ですが、そんな迷路に少し光明が見えたときに書いたように記憶しています。

その心理学の入門書といえる「嫌われる勇気」がベストセラーになったアルフレッド・アドラーが述べているように、私たちが思い悩むことの100%は対人関係です。それだけに、怒りや嫉妬、悲しさや悔しさといったネガティヴな感情は、どうしてもその感情を感じさせてきた対象にぶつけたくなります。

 

けれど、仮にそれをぶつけたとしても、解消しません。スッとした気分になったとしてもそれはごく一時的なもので、「まだ言い足りない」というマグマが沸々と湧いてきたり、あるいは相手を責めてしまったという罪悪感を抱えるという、最大のトラップに引っかかることになります。

「他人を使って感情の処理をしてもうまくいかない」とよく言われる所以です。

向かうべきところは、外ではなく内側です。

なぜ、その嫌な感情を感じたのだろう。

なぜだろう。

私がそうしたときに有効だったのは、いま何を感じているか、紙に書き出す方法です。今自分が何を感じているか、とりあえずぐしゃぐしゃと書いてみる。

会議でもホワイトボードがないと、話があちこちへ飛んでまとまりがなくなることがありますよね。同じように、書くことでいろんなところに散らばった思考や感情を整理していくことができます。

 

ともあれ、その嫌な感情に寄り添い、そしてその感情の奥底に向き合うことができると、ぺりぺりと薄皮を剥ぐように、さまざま感情の層を掘っていくことができます。もちろん掘り下げていく中で、自分のプライドだったり、見栄だったり、コンプレックスだったり、嫌なものが形を変えて出てくることもあります。

けれど、掘り下げていくと最後に到達するのは、ほっと落ち着ける地点です。

大切な人に、分かってほしかったんだな。

忙しかったから、仲間に助けてほしかったんだな。

愛してほしかったんだな。

そこには、クサい話になってしまいますが、今日の言の葉のように「温かい源泉かけ流しの場所」であり、愛にあふれた場所です。どれだけ表面上は嵐で時化て大きな波が荒れ狂っていても、その海の底には全く平穏で穏やかな海流が流れています。

そこにたどり着けると、相手を責めたりぶつけたり必要がなくなるんです。

ただ、「こう感じたよ」、とその奥底に眠る愛情とともにコミュニケーションができるようになります。不思議ですね。

「出したものが返ってくる」が本当なら、ベースになってる愛情を出した分だけめぐりめぐって愛情がまた返ってくるでしょう。今は私はそう思っています。

もちろん、温泉と一緒で、その温かい場所にずっと浸かっていることも私たちにはできません。ときに水風呂に入りにいってしまったり、海上の大嵐に巻き込まれることもあるでしょう。

もし仮にそうなったとしても、その奥底には源泉かけ流しの温かい場所が眠っていることを知っていれば、必ず戻ってこれます。

 

・・・左様でございますね、そんなに美味しそうにされると、もっと美味しいものでお返ししたくなりますね。いつもありがとうございます。

どうぞ、ごゆっくりお過ごしください。