人生の浮き沈みの中で、どっぷりと沈んだとき。
仕事や金銭や交友関係といった、男性の成功として結びつきやすいシンボルが失われたとき。
何をしても裏目、逆目を引き、うまくいかないとき。
そんな地ベタでこそ、男の色気は磨かれると思うのです。
浅田次郎さん
「天国までの100マイル」
浅田次郎さんは、家族のなかの欠落した部分と、人生における栄枯盛衰や浮き沈みを書かせたら当代随一だと私は勝手に思っている。
不渡りを飛ばし会社も金も失い、愛する妻子とも別れたクスブリ中年の主人公。母親が重い心臓病を患っていたことがわかり、天才外科医がいる遠く離れた病院へ救いを求めてオンボロワゴン車で160キロ=100マイルの旅に出る・・・
浅田次郎さんが書くというそのストーリーだけで落涙必至なのだが、中でも主人公がクスブリ中に身を寄せる水商売の「マリ」が最高だ。
「不動産も有価証券も家族も失った後に必ず残る、よれよれのアルマーニやバーバーリーのスーツを着てる男」が哀愁があって大好きだという、筋金入りのダメンズコレクターなのだが、その台詞が深い。
「くすぶりがもういっぺん目をもつのはね、早けりゃ二年、遅くても三年」
ありがたいことを言ってくれるものだ。だが、そんな兆候はかけらもない。もう一度目をもつことなどありはしないだとうと思う。
「無理だよ、俺は」
「でもね、ヤッさん。昔のおとこはみんなそうだったよ。早けりゃ二年、遅くても三年」
二年か三年で、男たちはこの女を捨てたということなのだろうか。
「それとおふくろの病気が何か関係あるのかな」
「ある。大あり。私の勘にまちがいなければ。いえ、勘じゃないわね。私の経験によればー」
マリは立ち上がって、小さな部屋中の空気を吸いつくすほどの伸びをした。
「私の経験によれば、目をもつときは必ず事件が起こる。それまでどっぷりと沈んでいたのに、立ち上がらなくちゃならないような事件が起こるのよ。それをきっかけにして、人生が変わるの」
季節にめぐりがあるように、人生の中にも浮き沈みとめぐりがある。
いいときもあれば、悪い時もある。
そもそも起きている事象はニュートラルで、いいも悪いもないのだが、流れのようなものはある。
そして男の色気というものがあるとしたら、それは富や地位や名声のある浮いた時期ではなく、どっぷりと沈んだクスブリの時期に磨かれるのだと、マリの台詞を読んでいて思う。
それにしても、浅田次郎さんの描く女性の台詞はなぜあんなにも魅力的なのだろう。やはり浅田さんも女性性豊かなのだろうか。
2017.10.10
私は男性ですが、自分の男性性に対してコンプレックスがあります。
なので「男の色気」について語るのも抵抗がありますが、この「天国への100マイル」の主人公は色気たっぷりです。重病の母親をオンボロワゴンに乗せて走り出した主人公は、道中で漁師風の豪快な男性たちをも味方につけます。
マリの言うように、立ち上がらなくちゃならない事件が起きて、それまで這いつくばっていた地べたを踏みしめるとき。
いえ、もっと言えば、立ち上がって何とかしようと駆けずり回って、いま打てる手を打ち尽くして、「天命を待つ」ように結果を待てるとき。
そんなときに、男の色気は宿るのかもしれません。
少し趣向は異なりますが、ダスティン・ホフマン主演の名作映画、「クレイマー・クレイマー」のラストの主人公もそんな色気に溢れています。不意に訪れた転機に、右往左往してみっともない姿を晒しながらも、地べたを踏みしめて立ち上がろうとする。けれど追い打ちをかけるように、主人公にとっては理不尽な出来事が覆い重なる。
最後の朝、フレンチトーストを焼くダスティン・ホフマン演ずる主人公の諦念とも何とも言いあらわせない表情が印象的で、色気があります。きっと、主人公は諸々の執着を手放していたのでしょう。
そして、手放したその空間に奇跡は入り込むのです。その主人公の男の色気にひょいと引き寄せられて。
クスブリはご勘弁願いたいのですが、そんな色気溢れる男性になりたいものです。
さて、今日も冷え込む夜になりました。
どうぞ、温かくしてごゆっくりお過ごしください。