身の回りに起こる事象で心が揺れたりブレたりしたときに、もう一度自分に戻れるツールをいくつ持っているかが、日々を豊かに生きる秘訣のように思います。
そんなことをふと考えた今日は、こちらのテーマからどうぞ。
保育園のクラスの担任の先生による、娘の評。
お嬢さんは、とても優しくて周りの人のことを気遣うことができますが、ときにそれが過ぎて自分の思ったことや感じたこと、やりたいことを我慢してしまうようです。
でも、最近少しずつそれが言えるようになってきました。
もうそれが出来れば、ここで学ぶことはないくらいです。
・・・ほほう、どこかで聞いた話だなー、とニタニタしてしまう。
せんせーあのね、ぼくもなんですー
と手をあげたくなる。
私の心理の投影とも見えるし、私が変われば、の鏡の法則とも見える。
それにしても、おとうが37歳にして取り組んでいる課題を、あいつは5歳にしてすでに取り組んでいるわけか。
あいつ、やるなー!
なんで言えるようになったか、今度聞いてみよう。やはり何でも若いヤツらの方が優秀だ。
自分の感じた気持ちを、大切にしてあげる、ということ。
それは、周りとの境界線をはっきり引き、自分が自分の一番の味方でいるということ。
つまり、自らの心の中にマリオのスターのような絶対無敵の領域を持つこと。
それらは、子どもたちにとっても何よりも大切なことのように思える。それさえあれば、失敗というものは存在しなくなるし、負けは勝ちへの布石となるし、転んでもまた起き上がれる。
そのために親が出来ることは、早期教育も習い事も大事だと思うけれど、まずは子どもたちの存在を全肯定してあげること、それに尽きるように思う。
それをするためには親が自分を全肯定してないと実際にはできないから、なかなかに難しいんだけどね。
もちろん彼女らもこの先、歳を重ねていろんな経験をする中で、ときにそれを見失うこともあるかもしれない。
けれど、一度できたことは大丈夫。
しばらく乗っていなくても、すぐに自転車に乗れるように、心と身体は経験したことを覚えている。
大丈夫、きっとうまくいく。
2017.9.19
「人間万事塞翁が馬」、「禍福は糾える縄の如し」とは言えど、身の回りに起こることに対して程度の差こそあれ、一喜一憂したり、心が揺れることもあるのが人間なのでしょう。
しかしその多くが自分を映し出す鏡とは、よく言われることです。
親しくなるほど、自分を姿をあますことなく映し出してくれます。
今日の言の葉の中の娘も、そのときの私の姿と状態を映し出していたのでしょう。
傷付くのが怖くて、否定されるのが嫌で、親しい人ほど何かを言って突然いなくなるのことを怖れていて、結果としていい人を止められなくて、我慢して言いたいことを言えなかった。そうして自分でも本音が分からなくなって、理解されたいのに理解されないスパイラルに陥っていた。
けれど、一つずつそうした過去の傷がつくる思い込みを、「大丈夫だよ」という言の葉をかけたり癒していくにつれ、言いたいことをきちんと感情を処理した上で言うことが、いかに大切かを学んでいった。
そんな私の状態を、娘はあますことなく映し出してくれたようです。
そのうえで、身の回りに起こる事象をどれだけ自分にフィードバックできるかが、大切ですね。
そうしたときに、どうしても揺れたりブレたりした状態を、フラットな状態でもう一度客観視して見直す時間が必要なように思います。少なくとも私には、必要です。
フラットな自分に戻れるツールが、いくつあるか。
人それぞれにいろんなものがあるでしょう。
歌。読書。美術館。温泉。アロマの香り。チョコレート。マッサージ。
それは、やはり「じんわりと幸せを感じる、無心になれる、好き」ということがキーワードのように思います。
みなさまにとって、そのツールは何でしょうか。
そのツールを思い浮かべながら、どうぞごゆっくりお過ごしください。