誰しもがとかく周りの人の言うことや、身の回りに起こる事象に振り回されると自信がなくなったりすると、頭で理解しやすい根拠を求めがちです。
けれど素晴らしい自分の価値や、ただそこに在る愛を信じるのに、理由や根拠はいらないと思うのです。
どうやら私たちは自分の価値や愛情といった、目に見えないものに対して根拠を求めるようです。
肩書があるから、地位があるから、資格があるから、価値がある。
たくさんそうした証拠を集め、自らの価値を確かめようとします。
頑張ってきたから、いい子にしていたから、我慢したから、愛される。
たくさんそうした理由を集め、どうしたら愛されるかを研究するようになります。
ところが、時としてそういった根拠が根底から崩れる場面に出会います。
築いてきた実績を上回る人に出会う。
あるいは、肩書を失う場面に出くわす。
頑張ってきたのに、愛されない。
いい子にしていたのに、認められない。
そうした場面はショックなのですが、一方で自らの価値が何らその根拠と関係ないと知るチャンスなのかもしれません。
今日はそんなテーマを、往年の懐かしいテレビゲームに寄せて。
マリオのスターと価値について。
スターを取ると、クリボーもノコノコも、にっくきハンマーブロスも何のその。身体は七色に光り、穴ぼこに落っこちさえしなければ無敵のスターマリオ。
心の中にも、そんな無敵のスターマリオの領域がある。
何人にも侵されない、絶対不可侵の無敵の領域。
それがあると、外界に振り回されることは少なくなるし、自分にできることとできないことの線引きができるようになる。
マリオのスターはハテナのついたブロックを叩くと出てくるけれど、心のスターもブロックを壊すことで出てくる。
悪い意味での勘違いのブロックを壊して、いい意味での思い込みに変換できれば、無敵のスターマリオ。
自らの価値がある、愛されている、認められている、と思い込んでいるのかどうか、信じているのかどうかの違いって大きい。
「事実として」自分に価値があるのか、周りに愛されているのか、周囲に認められているのかは、「さして」重要じゃなくて。
そんなことは永遠に分からん。
けれど、
ある
と思えば、
ある。
私は愛されないし、私は何をしてもうまくいかない
私には価値がないから、何かをしないと大切にされない
私の周りにはツイてないことばかり起きる
と思えばおどろおどろしい色の毒キノコがぼこぼこ降ってくるし、
私は周りから愛さてるから、何かしらんが上手くいく
私には大変価値があるから、何をしてても大切にされるらしい
私はどうも神さまに認められているから、今これでいい
と思い込めば、無敵のスターがぽんぽん出てくる。
神さまも愛も自分の価値も、信じたもん勝ち。
根拠は?と聞かれても「ないよ」と答えるしかない。
けれど、それらは当たり前に、確実にある。
大人になるまで育ててもらったこと。
朝ご飯を作ってくれたこと。
学校に行かせてもらえたこと。
病院に連れてってもらったこと。
一緒に山に登ったこと。
一緒に写った笑顔の写真。
この世に生まれたことを、心から喜んでくれたこと。
だから、
根拠なんて求めなくていいんだ。
ただそこに当たり前に、ある。
無敵のスター、懐かしいですね。
そういうときに限って、穴ぼこに落っこちてしまったり。
今週も寒くなりそうですね。
暖かくして、どうぞごゆっくりお過ごしください。