「寂しさ」は母親の胎内から産まれ出た瞬間から感じ始める、古い感情の一つと言われます。そんな「寂しさ」との関わりについて、今日は少し書いてみます。
誰しもが多かれ少なかれ「寂しさ」を抱えていると思いますが、私がこれまで生きてきた中で、最も抑圧し、最も解決できなかったのは、この「寂しさ」だったように思います。
以前、こちらの言の葉で抑圧していた寂しさを自覚したときのお話をさせて頂きました。
いま読み返してみると、だいぶドラマ仕立てで完全に解決したような書き方をしていますが、このときにようやく自分が山盛りの寂しさを抱えてきて、その深い闇のような穴は誰でもなく自分で埋めるしかないことに気付いた一歩目でした。
人間的に成長するとは、ネガティブな感情を感じなくなることではないように思います。無理矢理にそれをしてしまうと、また以前の私のように逆のポジティブな感情をも感じなくなり、世界は色を失うだけでした。
そうではなくて、ネガティブな感情を否定せずに、それを感じている自分に伴走することができること。そしてその感情の原因と処理に、他者を介在させないこと。
全ては自分の内面で起こる影絵であり、その感情の原因と処理を他者に委ねることは、どこまでいっても苦しい状況をつくりだします。たとえそれを処理したり満たしたりしてくれる他者がいっときあらわれたとしても、次に自分の思うように満たされなければもっと寂しさと不満を感じることでしょう。それが家族や恋人、友人であったとしても。
それに気付けただけでも、私にとっては大きな成長だったのですが、言うは易し、行うは・・・なんとやら、ですね。
なかなか自分の感じている寂しさに気付き、認めることは避けてしまうものです。ネガティブな感情を自ら進んで感じようとは、思わないですから。
人が感情を感じなくなることは、きっとないのでしょう。
そして感情やマインドと呼ばれるものこそ、私たちの行動を支えている燃料なのだとも思います。
ネガティブな感情の陰には、才能が隠れていると言われます。
「寂しさ」を感じた分だけ、きっと「つながり」も深く感じられ、周りに与えられる才能だと思います。
そう思うとネガティブな感情に浸ることもまた、その人らしく生きることに近づく道なのでしょう。
寂しいと思ってはいけない
寂しがるのは恥ずかしい
自分は寂しい人間だ
このあたり、私のなかの強固な思い込みです。それを、
ときに寂しくていい
寂しくなるのは自然なことだ
寂しさを感じることは才能だ
そう思えるように、丁寧に「寂しさ」とお付き合いしていきたい。
そんなふうにいまは思っています。
今日はとりとめもなくお話しさせて頂きました。
いつもお越しくださいまして、ありがとうございます。
どうぞ、ごゆっくりお過ごしください。