昨日は願望や夢を実現することについて綴らせて頂きました。
今日の内容はタイトルの通りなのですが、本質的には昨日のテーマの内容と似たようなことなのだと思います。
そんなことを実感したある冬の日のことです。
留守番の日だったが、息子と娘はお腹いたいと言って二度寝してしまった。
リビングの柔らかな日差しに誘われてごろんと天井を眺めてみる。ほのかな暖かさは眠気を誘う。
それにしても冬の陽だまりは幸せポイントが高い。
2018.1.20
いつでもどこでも、人は幸せを感じることができます。
これは人に与えられた偉大な能力の一つだと、私は思うのです。
あんなことで大喜びするなんて、あいつはアホやな。
もしかしたら、周りからはそう見えるかもしれません。もちろんいいんです、アホで。でもアホになるためには結構難しくて、少し頭のねじを外す練習が必要です。
昨日の中京競馬場訪問記に書いたことは、いろんな願望があるのだけれどそれが遠く難しく感じられるときは、「それが叶ったとしたら、なにがしたいのか?何が得たいのか?」を想像してみることは、価値のあることだという言の葉でした。
お金がたくさんあったらしたいことは何だろう?
世界一周旅行?好きなデザインの家を建てる?とっても美味しいものを食べ歩く?ハイブランドの服を値段を気にせずに買ってみる?
さらには、もしもそれができたときに得られると思っている「感情」は何だろうか?
それこそが、最初にあった夢や願望の根源にあるのかもしれません。
そして、 それは必ずしも当初の願望が叶わないとできないものではなく、今ここで叶えらることの方が多いように思うのです。そんなこともあり、日常の細部を見つめる、ということを今まで何度も綴らせて頂きました。
全てはいまこの時を楽しみ、味わうことができるかどうか。
私たちは過去に生きることもできませんし、未来に生きることはできません。
ところが、過去に傷を負った経験をいま反芻することで思い悩んだり、いまだ来ないときを思い煩ってしまいがちです。
そんなときは、日々練習です。
朝の空気の中、空を見上げる練習。
目の前の食事の一つ一つの素材を味わう練習。
一杯のコーヒーの香りを楽しむ練習。
何気なくテレビをつけるのではなく、好きな音楽をかけてみる練習。
この季節の風の冷たさを存分に感じる練習。
そんなことの積み重ねが、幸せを感じる能力を磨くのにとっても有効だと思うのです。
さて、また新しい一週間が始まりました。
厳しい寒さの中に、春の芽吹きを探すのもこの時期しかできない幸せといえますね。行き帰りの道の風景や、食べものの中にそれを見つけてみてはいかがでしょうか。
どうぞ、ごゆっくりお過ごしください。