失敗を黒歴史にすると、もうこれ以上失敗できないというプレッシャーを抱えることになって窮屈になります。
ところが、失敗を笑えると、失敗は失敗でなくなりそのうち成功します。
ティファニーではないのだが、今朝いつものように朝食をとっていたときのこと。
娘が箸でつまんだ梅干しを茶碗に持ってこようとしたが、まだ拙い箸の持ち方のこと、ぽろっと味噌汁の中にぽちゃんと梅干しを落としてしまった。
あちゃー、落としちゃったねー
けれど娘はケラケラ笑っていた。
失敗するのが許せないと、失敗できない生き方になる。
人から嫌われることにOKが出せないと、どこまでも我慢する生き方になる。
ネガティブな感情が認められないと、感情の抑揚のない機械のような生き方になる。
失敗できない人生は、他人の失敗も許せないから苦しい。
我慢する生き方は、周りにも我慢を強要するから生き辛い。
感情を抑え込む人生は、時限爆弾を抱えるように重たい。
そうならないためには、失敗や嫌われることやネガティブな感情を「イケナイことだ」という思い込みをいったんゆるめてみることだ。
では、ゆるめるためには?
「イケナイことだ」という刷り込みができたきっかけを自分に問うてみることだ。
それは必ず過去に傷ついたり恥ずかしかったり悲しかったりといった、黒歴史と密接に結びついている。その黒歴史で傷ついた分だけ、「あれはイケナイことだった」という刷り込みをすふようになる。
その刷り込みは麻酔のように心の痛みを抑える役割を果たしてくれるけれど、同時に周りにも「それはイケナイことだよ」を強要する猛毒になる。結果、身動きが取れなくなる。
ずっと痛みを抑えてくれた麻酔には、ありがとう。けれど、もう目覚めても大丈夫だよ。
豊かに、正直に、失敗して生きよう。
成功して評価されて愛されて称賛されて昇進して笑うよりも、失敗して笑おう。
味噌汁漬けの梅干しを、ケラケラ笑ってサルベージする今朝の娘のように。
2018.2.7
子どもは全力で親を助けにやってくる、とはいいますが、やはり小さな先生はいろんなことを教えてくれます。
失敗してもケラケラと笑顔で笑うことができるのは、失敗しても大丈夫だと信頼しているから。
何を?
そう、自分をです。イコール周りの世界を、なのですが。
笑えばきっと大丈夫、大丈夫。
え?そんなことはない?
大丈夫じゃない笑えない失敗もありますか?
あの受験に失敗しなければ?
あのときもっと彼女の話をよく聞いておけば?
借金してまであの鉄板と思われた馬券を買わなければ?
ちゃんとあの伝票を自分でチェックしておけば?
・・・いろんな失敗はあるとは思いますが、それでも、いまこうしてご来店いただけている。もう、それだけで大丈夫じゃないですか。あ、もしかして、幽霊かおばけではないですよね?
今日、こうしてここでお会いできる。それだけで大丈夫です。
そして、そんなふうにケラケラと失敗を笑い飛ばせるから、私はお酒が好きだと思うのです。
飲んだら笑え。酔ったら歌え。
話は明日だ。
大好きな横山秀夫さんの小説「クライマーズ・ハイ」の中の一節です。
酒席で笑いながら話す失敗や黒歴史は、もう最上の肴になります。そんなとき、失敗した自分やお腹の底に抱えていた黒歴史が、輝きだすのです。
もし機会があれば、お客さまの失敗や黒歴史を肴にしてみてはいかがでしょうか。
失敗して黒歴史の最低の自分を、笑って大丈夫だよと肯定してあげること。それは最上級の自己肯定になります。
どうぞ、ごゆっくりお過ごしください。