大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

ありえない失敗が周りの人を喜ばせたお話し

今日はありえないと思われる失敗をしたら、逆に周りの人が喜んでくれた、というおはなしを。

ええ、私の実体験です。

 

つい先日、私はお仕事の関係の取引先の会社を上役と訪問する機会がありました。

お昼時でしたので「せっかくですからお昼をご一緒に」ということで、その会社の近くの定食屋で軽く打ち合わせがてら、その取引先の方と食事をしました。

やはり一緒に食事をする、というのはいいものですね。

人は食事をしているときは、緊張感がどこか緩んでいろんな話ができるものです。

まあここで泡の出る黄色い飲み物くらいがあれば、もっとざっくばらんにお話もできたのでしょうが、さすがにそれはなしで、仕事の話からいろんな話をすることができました。

さて食事を終えて、その取引先の会社に伺って打ち合わせのまとめをしようと車で移動しました。

取引先の会社につき、意気揚々と車を降りた私は、ようやく違和感に気づきます。

あれ、出がけに後部座席に置いたはずの鞄がねえぞ・・・

乗っていた助手席にもトランクにもない・・・

焦って混乱した私は考えるわけです。

確実に出発するときは持っていた。

そこから今日寄ったところ、休憩のサービスエリアと昼食の定食屋・・・

あぁあぁぁぁぁあ!定食屋に鞄持って入った!そこだ!!!!!

ようやく昼食時に座った椅子の下に鞄を置いて、定食屋にプレゼントしてきたことを思い出したわけです。

ええと、手帳、財布、カード類・・・全部入ってました。

何というポンコツ。

 

恥ずかしさで顔から血が出そう、いや火が出そうになり、黙っていようかとも思いましたが、さすがに打ち合わせで手帳も持たずに手ぶらで出席する方がバツが悪そうです。

瞬時に観念した私は、上役と取引先に正直に伝えるわけです。

あ、あの、か、鞄を忘れまして・・・

それを聞いた取引先の方は、

「では時間もあるでしょうから、打ち合わせしてる間にうちの者に取りに行かせますよ」

と抜群のホスピタリティを発揮されるわけです。

なにそのイケメン対応。

抱かれてもいいわ。

と思いつつも「さすがに悪いかな」という罪悪感も頭をよぎり逡巡しました。

自分のミスは自分でカバーしないといけない、そんな強い思い込みを抱えていた以前の私なら、あとで自分で取りに行くか、定食屋に電話して着払いで送ってもらうか・・・そんな選択肢を選んでいたかもしれません。

しかし、「与えること」と同じくらいに「受け取ること」が大切、という思いが頭をぐるぐるした私は、素直にそのご厚意に甘えさせていただくことにしました。

ありがとうございます、お願いできますでしょうか。

ええ、大丈夫ですよ。打ち合わせしているうちに戻って来るでしょう。

 

果たしてその取引先の言葉通り、打ち合わせが終わるころに取引先の若い方が、ありましたよーと嬉しそうな顔をされて会議室に入ってこられました。

いやー、よかったです、ありがとうございます!!!

と御礼を申しあげたところ、その方笑顔にいっそうあたたかみが宿ったように見えました。

状況だけを見て頭で考え出すと、

もしかしたらその取りに行って頂いた方は忙しくて、迷惑きわまりないと思っているかもしれないとか、

わざわざ来ておいて特大の失敗するポンコツはホントに頼りねーなーと思われたかもしれないとか、

いろんなことを想像したりして自分を責めたり罪悪感を感じることもできます。

しかしそんなことよりも、その方の笑顔が全てなんじゃないかな、と思うのです。

まあ打ち合わせをしにきておいて、手帳も財布も入れた鞄を放置プレイする私のポンコツっぷりには弁解の余地もございませんが、「もし逆の立場だったら」とふと思うわけです。

ポンコツな取引先の方が来てて困ってて、それに手を貸すことができる。

しかも手を貸してあげたら、とても喜んでくれた。

人はどこかで必ず他人の役に立ちたいと思っている。

他人に何かを与えたいと思っている。

だとすると、失敗することはある意味で周りに「与えさせる機会」を作ってあげることなんじゃないかな、と思うわけです。

 

自分が欠点と思っているところもそうですよね。

片づけができないのは、片づけさせてあげる機会をつくってあげること。

料理が苦手なのは、料理が得意な人を喜ばせること。

車の運転が下手なのは、運転するのが好きな人にとってはギフト。

だから失敗も欠点も、周りの人を惹きつける素晴らしいギフトなのかもしれない。

それを隠そうとすると、凹んだ部分は永遠に凹んだ部分のまま。

けれど、晒すとあら不思議、それを埋める凸に出会えます。 

凹んでいるところに嵌る凸の部分が、この世界には必ずあるわけですね。

そんなことを思いながら上役の横からの鋭い視線をスルーしつつ、運転が苦手な私は助手席でぐがぐがと眠りこけて帰り道につくわけでした。

 

今日もお越し頂き、ありがとうございました。

少し寒の戻りが厳しいですが、春の食材も少しずつ出回ってきました。

その苦味を感じると、春が来たと実感しますね。

どうぞ、ごゆっくりお過ごしください。

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