人は未来への希望をよく語り、それが訪れることを心待ちにする。
今よりももっと素晴らしいものを想像し、語らい、また夢見る。
けれども後から振り返ってみると、その希望を語り夢を見ていた地点が、実は夢のさなかのど真ん中の地平だったのかもしれない。
あんなにも大人に憧れ、早く自立したいと願っていた少年時代が、それを振り返ってみると、あんなにも何かに熱中して時間を忘れて過ごすことができた、美しくも儚い想い出となることがあるように。
永遠に続くものなど何もなく、ただいまこの瞬間が続いていくだけなのだ。
2001年、春。
河内洋騎手は嬉しくも悩ましい選択を迫られていた。
前年からハイレベルだと言われていた牡馬クラシック戦線に、デビューから手綱を取る2頭の優駿が無敗のままクラシック第1弾の皐月賞を迎えようとしていたからだ。
1頭は、アグネスゴールド。
父は日本の競馬史を塗り替えるほどの活躍馬を送り続ける偉大なサンデーサイレンス、馬主は渡辺孝男氏、調教師・長浜博之氏、生産者・社台ファーム。
新馬戦、若駒ステークス、G3・きさらぎ賞、G2・スプリングステークスと4連勝。
例年であれば、クラシック候補の大本命に推されてもおかしくない戦績。
そしてもう一頭は、アグネスタキオン。
冠名に「光速を越える速度で動くと仮定されてる粒子の名前」を結びつけたその優駿は、父・馬主・調教師・生産者がアグネスゴールドと全く同一であった。
戦績もまた、新馬戦、G3・ラジオたんぱ杯3歳ステークス、G2・弥生賞を3連勝と土つかず。
特にラジオたんぱ杯3歳ステークスでは、前評判の高かったジャングルポケットとクロフネに競り勝った価値のある勝利だった。
さらにアグネスタキオンの血統表の母系には、河内騎手のこれまでの騎手人生が詰まっていた。
祖母・アグネスレディーは河内騎手がデビュー6年目に初めて八大競争の一つ、オークスを勝った名牝。
母・アグネスフローラもまた、河内騎手の手綱で牝馬クラシック第一弾の桜花賞を勝った名牝。
三冠牝馬・メジロラモーヌの手綱も取っていたことから、ファンの間で「牝馬の河内」と呼ばれることも多かった河内騎手だが、その礎を築いたといえるアグネスレディーから連なる一族の牝系。
さらには前年の2000年、アグネスフローラの仔でアグネスタキオンの全兄、アグネスフライトで河内騎手は悲願の日本ダービー優勝を成し遂げていた。
果たしてそんなタキオンと河内騎手の縁に遠慮があったのかは分からないが、アグネスゴールドはスプリングステークスを快勝した直後に骨折が判明して皐月賞を回避。
河内騎手の贅沢すぎる悩みは自然と解消することになり、第61回皐月賞を迎えることになる。
レースは速めの前傾ペースの厳しい流れ。
伝説の名馬・トキノミノルに次ぐ歴代2位の単勝支持率を得たアグネスタキオンと河内騎手は、差し有利なその流れの中、前目の厳しいポジションにぴたりとつけて直線を向く。
馬場の7分どころを追い出すと、残り1ハロンではきっちりセーフティーリードを確保。
2着のダンツフレームに1馬身半の差をつける完勝だった。
圧巻の弥生賞から、この厳しい流れをパフォーマンスに、誰しもが無敗のままの三冠馬、そしてその先の飛躍に胸を躍らせ、アグネスタキオンがこれからたどるであろう輝かしい未来の戦績に夢を見た。
しかし、そこから57日後。
競馬の祭典・日本ダービーで河内騎手が手綱を取るのがアグネスタキオンではなくダンツフレームになろうとは、誰が想像できただろうか。
5月2日、競走馬の不治の病である屈腱炎を発症。
ダービーはおろか、その後ターフを駆ける雄姿を見ることすら叶わず、アグネスタキオンはその鮮烈すぎる4つの勝利を残して引退し種牡馬となる。
あの皐月賞を見た、誰がそんな未来を想像し得ただろう。
その後のダービーを見ても、菊花賞を見ても、どこかに満たされない想いは残った。
タキオンが出ていたら。
勝負ごとにタラレバは厳禁だが、それでもそんな妄想したくなるほどアグネスタキオンの走りは鮮烈な光を放っていた。
けれども。
あの皐月賞は、夢へ向かう道中の一里塚ではなくて、まさに夢のど真ん中だったのではないかと、今振り返ると思う。
輝かしく満たされるかもしれないけれど未だ来ぬその時よりも、いまこのひとときこそがその時なのかもしれない。
振り返って満たされない想いを残さないためには、実はいまここが夢のど真ん中の地平だと気付いて生きるしかない。