今日はココロのつれづれを。
「信頼」することと「期待」することの違いについて、懐かしいあのゲームに寄せて。
愛することの反対は憎しみ・・・ではなくて無関心とはよく言われます。
では、「信頼」することの反対は何でしょうか。
・・・「裏切り」?
そうですね、それが一番に思い浮かびますね。
「アイツを信頼して大事な仕事を任せたのに、途中で放り投げやがった。裏切られたよ」
「あんなにも好きだった彼を信頼してたのに、実は第5夫人までいた・・・裏切られたわ」
「信頼していた友人に好きな人を打ち明けたら、3時間後にはyahoo!ニュースのトップに載っていた・・・裏切られた」
「どう考えても鉄の信頼を寄せるべきと思われた桜花賞のラッキーライラック、2着に負けるとは・・・裏切られるなら、3連単の頭固定にしなきゃよかった」
・・・はい、最後はともかく、いろんな「信頼」と「裏切り」のシチュエーションが考えられますね。
けれども、当店は「信頼」の反対は「裏切り」ではないと思うのです。
じゃあ何か?と問われると困りますが、「信頼しないこと」とでもなるのでしょうか。
ほんとうに相手を「信頼」していたら、相手の動向がどうあれ「信頼」を変えることはありません。
相手の出方によって、「信頼」にするか「裏切り」にするかを変えるのであれば、もしかしたらいつの間にかそれは「期待」と呼ばれるものに変わってしまっていたのかもしれません。
「期待」とは「こうあるべき」、「こうなるはず」というかたちを取ります。
「俺が信頼した部下だから、うまくやるはず」
「私が信頼した彼だから、私だけを見てくれるべき」
「信頼した友達だから、私の秘密を守ってくれるべき」
「信頼したラッキーライラックだから、私の予想通りアタマで来るはず」
・・・別に桜花賞を外してラッキーライラックに恨みがあるわけではありませんが、そんな「べき」「はず」が「期待」の中にはひそんでいます。
さらにもう一つその「べき」「はず」を掘ってみると、実はそれは「要求」であることがわかります。
「こうなってほしい」「こうあってほしい」、という「要求」。
私たちが「信頼」していると思っているのものは、こうした「要求」が形を変えたものであることが往々にしてあります。
パートナーとの関係、親子関係など、関係が近くなるほどに顕著ですね。
そしてこうした「要求」は、自らの「不足感」や「欠乏感」から来ています。
何かが足りない、あるいは何かが欠けているから、周りをコントロールしてそれを満たそうとする。
多くのそうした「要求」は、幼いころに十分に満たされなかった(と実は思い込んでいるだけの)親からの愛情を求める「不足感」「欠乏感」から生まれます。
しかし、もらえなかったと思っているものが他人から与えられることは、ありません。
一時的に与えられたと思って満たされたとしても、今度はもっともっと、と「要求」が大きくなっていき、お互いに苦しくなるばかりになります。
そのようにならないためには、やはり自分で自分を満たすことが、ほんとうの意味での「信頼」へ近づく道なのでしょう。
それは、傍から見れば裏切られても信じているというアホのように見えますが、自分が満たされていれば裏切られることはありません。
自分が「信頼」していることを、自分自身が「信頼」してあげること。
それができれば、裏切られることはないと思うのです。
・・・と、少し抽象的なお話しになってしまいましたので、ちょっと具体的な「信頼」するおはなしを。
スーパーマリオに出てくる「クリボー」は、もともとマリオたちのキノコ王国の純民だったのが、クッパ軍団に寝返ったという敵キャラなのですね。
単音のBGMと、水色の空とドット絵を想像しながらお読み頂ければ幸いです。
「あいつはそういう栗野郎だったんだよ」
ピノキオは言い放ちます。
「きっと兄貴が甘やかし過ぎたからだよ」
ルイージはそう吐き捨てました。
1-1のしょっぱなから、どの面下げて歩いてくるんだか。
マリオも最初はそう思いました。
けれども、仮にも彼が栗なら、トゲゾーのようにトゲのある殻を着てくれば、俺はもっと困っていたはず。
それをしないのは、優しいクリボーにとって、きっと今の状況が苦しくて仕方ないに違いない。
そう思えたヒゲの配管工はクリボーを「信頼」し続けることにしました。
地下にもぐったり空中のアトラクションだったり、先の見えない長く厳しい冒険の旅の中でも、ヒゲの配管工はクリボーを信じることにしました。
そうしていくうちに、配管工の心に確たる想いが芽生え始めます。
「クリボーの奴がどのような選択をしても、俺はそれを支持する」
「俺は、今の俺にできることをしよう」
パックンフラワーを避けてジャンプした先に彼が待ち構えていようと、スーパーキノコがかれのもとに滑って行って取れなくても、ハンマーブロスとの激闘のさなかに彼がのさのさ歩いて来たとしても、あるいは配管工自身がファイアーマリオに変身したときでも、
ヒゲの配管工は変わらずクリボーを見守り続けます。
淡々と、変わらず、毎ステージ毎ステージ、「信頼」を続けます。
「信頼」するとは、「いつか彼の目が覚めて、ごめんなさいと謝って戻ってきてくれる」と思うことではありません。
ヒゲの配管工にとっての「信頼」するとは、
「あのキノコ王国一優しかったクリボーがそうしたのだから、きっと何か意味があるのだろう、と共感し、理解し、涙し、手放し、許す」という前向きな冒険だったのです。
8-4までやって来たヒゲの配管工には分かります。
「信頼」するとは、決して裏切られることはないのです。
自分の心に宿る「信頼」の灯火を絶やさぬように持ち続けている限り、裏切られることはありません。
ルイージやピノキオから見れば裏切りにしか見えないクリボーの行為すらも、その灯火を持つ配管工にとっては、受け入れ、許し、理解することができます。
それは「犠牲」でも「我慢」でもありません。
冷えてカチカチになってしましたクリボーのココロに、あたたかな灯火をともす積極的な与える行為なのです。
さて、8-4をクリアし終えたマリオとクリボーがどうなったか?
それは、もしかしたらお客さまが大切な誰かを「信頼」することで分かるのかもしれません・・・
・・・どうも、うっかり昔大好きだったスーパーマリオを思い出していたら、長くなってしましました。
なかなか二次創作も楽しいですね。
さて今日もお足を向けて頂きまして、ありがとうございます。
今日は「穀雨」、穀物に実りをもたらす雨が降り注ぐころの節気です。
その節気どおり、今週は少し雨の日が多かったですね。
そんな雨もまた実りへの恵み。
どうぞ、ごゆっくりお過ごしください。