いらっしゃいませ、ようこそお越しくださいました。
今日は「選ぶ」ということに寄せて、綴ってみたいと思います。
空梅雨ラン。
風もなく蒸し暑くもなく
汗も出やすい、いい気候。
今日の報酬はレモン味。
メッツコーラも美味しい。
ボルヴィックは王道。
ライフガードは青春の味。
ソルティライチもよかと。
生茶もいい。
けれど、やっぱり好きなんです。
ウィルキンソンさん。
2017.6.14
ええ、ウィルキンソンの炭酸が好きなんです。
すっきりしていて、喉ごしがよくて。
ランニングの報酬は、いつもウィルキンソンさんです。
この日はレモン味でしたが、通常の赤いボトルもいいですね。
それでも、ランニングのあとに寄ったコンビニで、飲料の棚に「ウィルキンソンしか」並んでいなかったら、けっこうげんなりすると思うのです。
午後の紅茶もキリンレモンも、ファンタもヘルシア緑茶も、ボスもジョージアも、いろんなものが並んでいる中で選ぶことができるから、「やっぱりウィルキンソンがいいな」と思えます。
「ウィルキンソンしかイヤ」は執着で、苦しいですよね。
もしウィルキンソンが並んでなかったら、乾いた喉と汗びっしょりの身体に鞭打って、次のコンビニに旅立たないといけなくなってしまったりします。
それは苦しいですよね。
ドMのケがある私でも、ちょっと躊躇します。
同じように、
「この人しかいない」
「この会社しかだめ」
「そのやり方でしかうまくいかない」
「ポジティブな感情しか感じたくない」
・・・などなど、一つの対象に執着するのは、苦しい訳です。
どうしたって、その対象に振り回されたり、その対象のドレイになったりしてしまいます。
それよりも、
「ボリュームたっぷりのラーメンセットもいいし、脂の乗ったサバの煮つけ定食もいいけど、今日はサラダとサンドイッチにしよう。」
と「選ぶ」ことができると、とても楽になりますし、自分で決めているという感覚は自信をもたらします。
「辞職願と離婚届を懐に持つことは、会社と夫婦との関係を円滑にする」と言われることがありますが、選択肢を持つことはそれだけ対等な関係を築ける第一歩なのでしょう。
それは、その選択をしなさい、というわけではありません。
それをする選択肢が自分にはあるんだという思い、覚悟と言い換えてもいいのかもしれませんが、それを持つことはとても心は軽くします。
さて、そうは言ってもなかなか執着は手放せませんよね。
その難しさは、
もし私が執着しているものを選ばなかったら、どうなってしまうんだろう。
という不安から来ています。
不安は漠然としていると増幅していく性質があります。
ところが反対に、明確にすると不安は小さくなります。
それを選ばなかったときに起こる、もっとも最低なことって、何だろう。
それを書き出してみると、少し執着が手放しやすくなります。
ウィルキンソンをやめて、別の新しい飲料にしたときに起こる最低なことってなんだろう。
超絶マズくて、ランニング後のひと時が最低な気分になる。
・・・それって、本当に最低なこと?
友人に話したり、ブログにするネタにできることかもしれません。
同じように、
この人と別れたときに起こる最低なこと
会社から離れたときに起こる最低なこと
いままで試したことのないやり方をしたときに起こる最低なこと
ネガティブな感情を感じたときに起こる最低なこと
を書き出してみると、意外と「それでも大丈夫かも?」と思えるかもしれません。
そうしたら、しめたもの。
もう執着はだいぶ緩んでいます。
その上で、その人や会社ややり方や感情や、ウィルキンソンを選ぶのかどうか、を考えてみると楽になると思うのです。
いかがでしたでしょうか。
選択肢を持つ、ということ。
そして、違う選択をしたときに起こる最低なことは何かを明確にしてみるということ。
そうした上で、どの選択肢を選ぶのか、決めてみる。
ウィルキンソンから、だいぶネタを膨らませることができまして、ひとり満足しております。
今日もお越し頂きまして、ありがとうございました。
どうぞ、ごゆっくりお過ごしください。