ある一方にとっての光は、もう片方にとっては影となる。
陰と陽、昼と夜、太陽と月、男と女、生と死、栄光と蹉跌。
正負が同じところに一緒に在るのは、この世の常であり、理でもある。
ときにサラブレッドの走りは、そんな鮮やかなコントラストを見せつけてくれる。
時に西暦2012年。
この年の天皇賞・春は、人によって二通りに記憶される。
あの馬が勝ったレースか、
あの馬が負けたレースか。
圧倒的な1番人気は、前年の4冠馬・オルフェーヴル。
エネルギーを持て余すヤンチャな悪ガキが、ひょんなことでグローブを握ってサンドバックを叩いてみたら、あれよあれよという間に日本チャンピオンになってしまった。
オルフェーヴルの2011年は、そんなサクセスストーリーを見ているかのようだった。
デビュー戦の直線で内へ切れ込み、さらにゴール後に池添騎手を振り落したりと、暴れん坊ぶりを見せながらも、徐々に折り合いを覚える中で強烈な末脚に磨きをかけていった。
皐月賞を4番人気で制すると、不良馬場の日本ダービーを1番人気で圧勝。さらには秋に三冠のかかった菊花賞も圧勝。
菊花賞のゴール後に暴れて池添騎手をまた振り落す気の悪さはご愛嬌で、年末の有馬記念までをぶち抜いて年度代表馬の栄誉に浴した。
迎えた2012年の初戦・阪神大賞典では、終始折り合いがつかず口を割って走る苦しい展開。
すると2週目の3コーナーでコースを逸走しはじめ、一度走るのを止めてしまい先頭から最後方までずるずると後退。
故障か。
誰もが最悪のケースを想定した瞬間、オルフェーヴルは内に他の競走馬が走っているのを目にすると、猛然と最後方から再度加速し始める。
4コーナーではもう先団に取り付き、猛追。
結局はギュスターヴクライの2着に突っ込む、前代未聞の破天荒なレースぶり。
ヤンチャな悪ガキは、稀代の暴君として君臨しはじめていた。
この阪神大賞典のハチャメチャなレースぶりが話題となり、オルフェーヴルは次走の天皇賞・春ではさらに人気を集める。
気を悪くしてとんでもないことをしない限り、競走馬としての走る能力はもう疑いようもない。
あとは、気分よく走ることができるかどうか。
そんなファンの期待と不安と「怖いもの見たさ」がないまぜになった結果、彼の単勝オッズを1.3倍という圧倒的な人気になって、発走の時刻を迎える。
ビートブラック。
この天皇賞出走前の時点で、27戦5勝。
重賞勝ち、なし。
デビューから8戦はダートの短距離を使われ、騎乗した騎手はのべ11人。
その父・ミスキャストは母が名マイラー・ノースフライトという良血を買われて種牡馬入りしたものの、重賞勝ちする産駒はなし。
3走前、日経新春杯、4着。
2走前、ダイヤモンドステークス、6着。
そして前走、阪神大賞典では勝ち馬とオルフェーヴルからは24馬身離された10着。
競馬に絶対はないとはよく言われるが、とてもオルフェーヴルと比べるべくもないビートブラックの戦績。
単勝人気は、下から数えて5番目だった。
しかし、それだけに騎手・石橋脩は肚をくくっていた。
出だしからゴールデンハインドが先頭を走る中、2番手を追走。
他の有力馬が後方で折り合いに専念するオルフェーヴルを警戒して動けない中、残り1,000mの標識で、石橋は仕掛ける。
ゆっくり登り、ゆっくり降りる、
がセオリーの淀の3コーナーを、その前からギアを踏んだ。
淡々としたペースの中、残り二つのカーブと最後の直線に向けて、もうひと息ふた息も入れたいところを、石橋はビートブラックにGOサインを出した。
ゴールデンハインドを交わし、一気に先頭へ。
「バテたら謝るしかないと思っていた」
石橋がレース後のインタビューで語ったとおり、肚をくくった人間は強い。
直線を向いたとき、まだ後方でもがいていた暴君・オルフェーヴルがどれだけ強烈な末脚をもっていたとしても、追いつくことは不可能なほどにビートブラックとの距離は開いていた。
歓声が悲鳴と変わり、怒号となり、そしてゴール板を過ぎて静まり返る京都競馬場。
見てはいけないものを見てしまったかのような、そんな静寂。
派手なガッツポーズを決める石橋。
デビュー10年目にしてG1初制覇の瞬間だった。
テレビゲームの「ダビスタ」にハマって騎手を志したという真面目な男が、残り1,000m地点で見せた覚悟のスパート。
史上最大の大波乱の払い戻しは、単勝15,960円・馬連61,570円・3連単1,452,520円と炸裂した。
いずれも天皇賞・春の史上最高配当であった。
オルフェーヴル・池添が負けた、レース。
ビートブラック・石橋が勝った、レース。
その鮮やかな陰と陽のコントラストが見られたのが、2012年天皇賞・春というレースだった。
そしてそれを際立てたのは、石橋騎手が見せた一世一代の覚悟だった。
人も馬も、肚をくくった奴は強い。