大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

将来を見据えるよりも、今好きなことを重ねた方が結果的に豊かになるというお話し

将来の恩恵を期待して行動すると我慢と犠牲がともなうので、どこかで燃え尽きてしまいます。

それよりもいま好きなことを重ねた方が、結果的に将来的に恩恵を受け取れる可能性が高くなるように思います。

今日はそんなつれづれを、私のワーカホリック時代の思い出とともに。

 

かつて超絶自立系だった頃の私は、ご多分に漏れずロックマンでワーカホリックでした。

勤めていた会社の始業の2時間近く(!)前に出勤し、メールチェック、スケジュールチェック、なんか資料作成したり、なんか考えていたり、うんぬんかんぬん・・・いろいろ仕事してました。

いつも夜遅くまで仕事していたにもかかわらず、です。

休日出勤も自宅で仕事もザラで、いつも追われて仕事していました。

はい、だいぶ頑張ってました。

自分では普通だと思っていたのですが、どうもかなり無理していたようです。

無理を重ねすぎると、心か身体が教えてくれます。

「ストーップ!もうこれ以上そのスタイルを続けたらあかんでー!!!」って教えてくれます。

往々にして心が先に教えてくれますが、気分がふさぎ込んだり落ち込んだり、やる気が出なくなったり。

あるいはそれすらも麻痺させて頑張ると、どんなに自分がやってもやってもなぜか周りと軋轢が絶えなくなり、いろんな対人関係の爆弾を抱えたり、炸裂させてみたり。

それでも突き進むと、今度は身体が文字通り身をもって止めようとします。
病気や怪我などにより、強制終了をさせてくれるようです。

私は心の段階の後半部分くらいで「ギブアップ」できました。

あれ、もうこのやり方ではあかんのや、誰か私を助けてーな、と。

その後、紆余曲折を経て人の出逢いに救われ、今こうしてここでブログを書いています。

あ、これはあくまで私自身の話ですので、2時間前から出社して充実して仕事をされておられる方も、いらっしゃると思います。

ただ、私の場合はいろんな自分の心の傷から仕事に逃げていたので、苦しくなってしまった、というだけです。

 

前置きが長くなりました。

今は始業の30分ほど前に出勤して、誰もいない会議室で写経したり、ぼーっとしたり瞑想したりしています。

その朝の修行を辞めたことで、仕事が遅くなったり回らなくなったり質が下がったりしたか、というと不思議とそうでもないのですね。
じゃあ、あのワーカホリックホリックな日々は何だったんだ、ということになるので、あまり考えないようにはしていますが・・・

それはさておき、写経しているのはこの本です。

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チャック・スペザーノ博士の名著
「傷つくのならばそれは愛ではない」

366のテーマについて書かれているというおもしろい構成になっていて、最初から読み進めるもいいし、気になっている人間関係があればそれを思い浮かべながらサッとページをめくると、自分にとって必要なヒントが出てくる、とも書かれています。

今年の年初に一日一ページずつ写経していこうと、ふと思い立ってから朝そんな時間を取っています。

実際にペンを使って文字を書くことは、すごくいいインプットになるし、書くこと自体が好きだからです。

内容自体も示唆に富み、たとえば今日のテーマは

「嫉妬しているほど、じつは自分のことを信用していない」

私たちは嫉妬しているとき、「自分がそういう状況におかれたら、きっとこなってしまうだろう」と思うことをパートナーに投影して、相手もそうに違いないと思いこむのです。これは嫉妬に関してもっとも深く隠されていることのひとつです。

・・・ほんほん、なるほど、なるほど、です。

それで今日いつものように写経していたら、いつも清掃をしてくださる女性の方が部屋に入ってこられて、少し話をしたんですね。

「前も朝ここで勉強されてましたよね、すごいですね。何か資格でも取られるんですか」

と言われるわけです。

「いえ、まったくそのようなわけもなく、ただこの本が面白いのと、書くことが好きなものですから・・・」

と答えると、少し不思議そうな顔をされておられました。

そこで、ふと思いました。

人は何かをするのに目的を付けたがる。
そして、それを周りの人に投影して見てしまう。
けれど、実は何の目的もなくて「ただ好きだから」やっていることもあるんだろうな。
むしろ「好きだから」やっていることじゃないと、我慢や犠牲がともなってしんどくなるんだろうな、と。

いま私がしている写経が何につながるのか、まったくわかりません。

スティーブ・ジョブズが大学を中退したときに文字のデザインについて学んでいたことが、のちに最初のホームコンピューターを設計するときのコンセプトに役立ったように、もしかしたらこの先何かにつながるかもしれません。

そんなことはなく、何にもつながらないかもしれません。

けれども、それが何かにつながるとしてもそれは後からしかわからない、ということが大切なように思うのです。

後から振り返ってみれば、「あのときあれをしていたから、今の恩恵があるんだな」と解釈することは簡単です。

そして、私たちは自分の周りのそういった事例を見て「将来の恩恵が期待できるから、これをしよう」という思考にはまります。

これ、結構陥りやすい罠なのですが、この思考だと行動の全てが「我慢」や「犠牲」をともなうので、結果的にどこかで燃え尽きてしまいます。

この資格があると将来有利だそうだから、資格の勉強を始める
サッカーをやっているとモテるそうだから、サッカー部に入ってみる
就職に役立つそうだから、TOEICを受けてみる

・・・ん?誰のこと?という質問は受け付けませんが、ご参考までに私はそのいずれも現在はやっておりません笑

あ、資格の勉強やサッカーやTOEICをディスっているわけではありませんし、その思考で始めてみたけれど実はすっごく自分に合ってて好きになった、という場合もあると思います。

そういう場合は別ですが、将来の見えない果実を期待して我慢をするより、いま好きなことを重ねた方が将来大きな果実を得ることができる可能性があると思うのです。

 

夢を叶える方法として、「目標達成型」と「天命追求型」という二つのタイプがあると言われます。

「目標達成型」は、設定した目標に向かってそこに至るプロセスを考えるという、多くの企業で使われている方法です。

一方で「天命追求型」は、いま目の前の状況や課題を全力で楽しんでいると、気づくとそれが達成されているというパターン。

人の力の及ばない大きな何かに委ねる、と言い換えられるのかもしれません。

今日のお話はもちろん「天命追求型」寄りのお話です。

何たって私はストレングスファインダー資質の上位:運命思考・ポジティブ・適応性、下位:目標志向・分析思考・指令性ですから、やはり「天命追求型」がしっくりきます。

そんなこともあり、今日のつれづれを綴ってみましたが、いかがでしたでしょうか。


今日もお越し頂きまして、ありがとうございました。
どうぞ、ごゆっくりお過ごしください。

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