今日はジュリア・キャメロンさんの「ずっとやりたかったことを、やりなさい」に寄せた書評を。
アメリカで「アーティスト・ウェイ」というワークショップを開催する作家、ライター、映画監督のジュリア・キャメロンさんが教える、自分の中の創造性を甦らせる12週のワークが散りばめられている。
私はこの本の存在をどこで知ったのかは、よく覚えていない。
どなたかにご紹介頂いたのかもしれないし、amazonの「こんな本もおすすめ」の中でタイトルに惹かれたのかもしれない。
ただ一つ確かなのは、どうしようもなく深い悲しみと、吹き出るような怒りと、生きることへ絶望と、ネガティブな感情が日々爆弾のように炸裂していた時期に出会った本、ということだ。
過去への後悔と憤怒に苛まれ、明日への不安と恐怖に怯え、亡霊のように所在なく今日を生きていたあの頃の私が、なぜ「ずっとやりたかったこと」についての本に惹かれたのかは分からない。
けれど、本の中の「第2週」に出てくるこの一文に涙して救われたことを覚えている。
細部を見ることは、つねに癒しをもたらしてくれる。それは特定の痛み(恋人を失う、子どもの病気、打ち砕かれた夢など)への癒しとしてはじまるが、最終的に癒されるのは、すべての痛みの根底にある痛みである。リルケが「言葉で言い表せないほどの孤独」と表現した、誰もが抱えている痛み。注意を向けることによって、私たちは人や世界とつながる。
(中略)
心が痛んでいるときに、たとえば将来が怖くて考えられないときや、過去が思い出すのもつらいとき、私は現在に注意を払うことを学んだ。私が今いるこの瞬間は、つねに、私にとって唯一、安全な場所だった。その瞬間瞬間は、かならず耐えられた。今、この瞬間は、大丈夫なのだ。私は息を吸い、吐いている。そのことを悟った私は。それぞれの瞬間に美がないことはありえないと気づくようになった。
母が亡くなった晩、電話をもらった私は、セーターを持って家の後ろの丘を登っていた。雪のように白い大きな月が、椰子の木ごしに昇っていた。その晩遅く、月は庭の上に浮かび、サボテンを銀色に洗っていた。母の死を振り返ると、あの雪のように白い月を思い出す。
どうしようもなく感情が揺れて辛いとき、何度もこの一文を読み返しただけでは飽き足らず、手帳に何度も書き写して写経した。
そうなのだ。
今、この瞬間は、大丈夫なのだ。
私は息を吸い、吐いている。
そしてそれぞれの瞬間に美がないことはありえないと感じるようになった。
私自身、自分の身体の一部が引きちぎられるような別離を経験したあの頃を振り返ると、世話になったお寺に境内で咲いていた「しだれ桜」のピンク色に揺れる枝を思い出す。
あの頃、毎日到底処理できそうにもない情報量と喧騒と、多くの人々の蠢く感情の渦の中にいたのは間違いないのだが、不思議なことに思い出されるのはその「しだれ桜」の静寂なのだ。
善悪も価値判断もなく、「ただ、在る」。
炸裂するネガティブな感情に揺さぶられながら、「それでも、今この瞬間は大丈夫」という自己の存在に対しての根源的な安心感を得ていった時期だったのかもしれない。
その頃の気づきについて、以前こんな記事を書いた。
振り返ると、この気づきは根源的な安心を与えてくれるようだ。
どんなに心が荒れ狂おうが、自分の外側で何が起きようが、空を見上げることや地に咲く花に目を落とすことはできるのだ。
さて、キャメロンさんはこの著書の中で様々なワークを提唱しているが、そのベースになっているのが「モーニング・ページ」と「アーティスト・デート」という二つのツールである。
前者は朝起きた直後に、頭に浮かんだことをすべてノートに書いていく、というもので毎日の習慣にするように、と書かれている。
後者は自分の中の「アーティスト」とデートする時間(すなわち一人で心の趣くことをする時間)を確保しよう、というもので最低でも週2時間はそうした時間を取りましょう、と書かれている。
書評を書いておいて何なのだが、私はこのワーク自体はまだやっていない。
ただ、これに似たことはしてきたように思う。
自分の感じている感情を紙に書く感情ノートのようなことであったり、一人心の趣く時間を取ったり。
これは「アウトプット」と「インプット」と言い換えることができるかもしれないし、もっと言ってしまえば、「送信」と「受信」、「アップデート」と「ダウンロード」とも言えるのかもしれない。
要は、神さまなのか仏さまなのか宇宙なのか分からないが、大いなるものとつながり、創造性を育むための手段、ということだ。
改めてこの本を読み返して、以前は「根源的な安心」の気づきを得たが、今度はこの二つのツールを使って私自身の創造性を育ててみようか、と思った。
それにしても、序文のこの箇所に、グサっときた。
30歳で突然、酒を断ったその当時、私はパラマウント・ロットに仕事場を構え、作家としての地位を築き上げていた。とはいえ私の創造性は安定したものではなく、切れた頸動脈から噴き出す血のように間欠的なものだった。当時の私は自分のためというより、他人のために書いていた。私にとって創造することは、十字架にかけられるようなものだった。抵抗を押して、散文の棘の中に倒れ込み、血を流しながら書いていたのだ。
もし、古い苦痛に満ちたこの方法で書き続けていられたなら、きっと今でもそうしていたに違いない。しかし、やがて飲酒が自分に計り知れないダメージをもたらし、創造性を踏みにじってしまうことを認めざるをえなくなった。
私は、しらふで物を書くことを学ぶ必要があった。さもなければ、書くことをきっぱりあきらめるしかなかった。高邁な精神にかられてではなく、そうしたやむをえない理由で、私は霊性の道に歩み出したのである。新しい創造の道を見出さざるをえなかったのだ。私のレッスンはそこからはじまった。
まず私が学んだのは、自らの創造性を、ディラン・トーマスが「緑の茎を通して花を咲かせる力」と呼んだ力に預けることだった。それは、創造性を邪魔するのをやめ、それが自由に働くままに任せることを意味していた。私はただ原稿用紙に向かい、聞いたことを書いていけばよかった。それまで、書くことは私にとって、核爆弾を発明するようなものだったが、それ以降、立ち聞きに近いものになった。
インスピレーションがわくかどうかで気をもむ必要がなくなり、ふさぎ込むこともなくなった。書いているのは私ではなかったので、結果を思いわずらう必要もなかった。こうして、自意識にわずらわされずに自由に書くことを覚えた。
「ウマフリ」さんに寄稿する記事を書くために焼酎3杯は空けないといけない私は、「しらふで書くことを学ぶ必要」があるのでしょう・・・
ただ、もしこのキャメロンさんの言うところの状態になれたら、どんな文章が書けるのだろう、とワクワクすることは確かだ。
書評と言いながら、まだまだこの本については勉強中ですが、今の時点での学びを綴らせて頂きました。
今日もお越し頂きまして、ありがとうございました。
どうぞ、ごゆっくりお過ごしください。