大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

あこがれの人に会いに行く、ということ

いらっしゃいませ、ようこそお越しくださいました。

人には誰しもあこがれの人がいます。

そして意識的にせよ無意識的にせよ、そのあこがれの人になろうとします。

今の自分と、そのあこがれの人とのギャップ。
それを埋めるのは、お金と時間と距離、なのかもしれません。

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私たちは、常に自分以外の世界から影響を受けます。

本を読む、音楽を聴く、映画を観る、人と話す・・・

その中でも「人と会う」ということは、最もパワフルにその人に影響を及ぼすことの一つだと思います。

その人に直接会って、その雰囲気を感じ、声を聞き、エネルギーを感じる。

やはり人と会うことは、人生を変えるパワーがあるようです。

そして、世の中にはお金を使わないと会えない人がいます。

たとえば、
ベストセラー作家の講演会。
スタジアムに行くと会える、大好きなプロ野球選手。
いつも新しい視点をくれる、コンサルタントやコーチ。
ずっとファンだった、あこがれの歌手のコンサート。
デビューから追っかけている芸人さんのライブ・・・

いずれの人たちも、「お金」を使わないと会えない人たちですね。

けれど「お金」を使ってそのあこがれの人たちに会いに行くということは、そのあこがれの人たちに近づくことなのかもしれません。

当然ですが「お金」を使うと、使った分だけなくなります。

なくなったスペースに入ってくるのが、そこで会った人の影響であったり、エネルギーであったり、雰囲気だったります。

これは「お金」を「時間」や「距離」に置き換えても同じだと思います。

わざわざ「時間」をかけて、会いに行く。
遠い「距離」をものともせず、会いに行く。

自分から「お金」・「時間」・「距離」を支払って、スペースを空ける。

それらを支払っただけ、大きなスペースを空けることができます。
そして、その空いたスペースには、必ずいろんなものが入ってきます。

それは、あこがれの人だけとは限りません。

私が20歳過ぎの頃、信州の温泉街に下宿していた同い年の友人を訪ねたことがあります。

折しも一年で最も寒い2月に、電車とバスを乗り継いで。

途中から降りだした雪はしんしんと積もっていきました。

再会を祝した友人との一献。

それから夜の闇に白く輝く膝まで積もった雪を踏みしめて向かった温泉。

その暖かさは、美しい想い出となりました。

その距離と時間をかけた分だけ得られた想い出は、今も私の心に美しく残っています。

こう書くと、「お金」や「距離」や「時間」をかけないと、いろんなものが得られらない、と逆を考えてしまうかもしれませんが、もちろん今ある日常の眺め、毎日顔を合わせる人からたくさんのものを得ることもできます。

ただ、時にはあこがれの人に、会いたいと思った人に、会いに行くのもいいですよね。

お金や、時間や、距離をかけて。

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美味しいものを食べに行く、ということもそれと似たようなことかもしれません。

あこがれの人に、会いたい人に、会いに行きましょう。

人に惹かれるということは、その人の花咲く魅力の芽が、必ず自分の中にあるのですから。