いらっしゃいませ、ようこそお越しくださいました。
相変わらず私の住む名古屋では体温以上の厳しい暑さが続いております。
それでも不思議と立秋を過ぎると、蝉時雨の中にも一抹の寂しさが感じられます。
人の意識というのは、不思議なものです。
大きな声で鳴くクマゼミ。
そんな過ぎ行く夏の日には、井上陽水さんの名曲「少年時代」が聴きたくなります。
私が小学生のころ、1990年代前半でしょうか、全国的にカラオケブームだったように記憶していますが、私の住んでいた地域にもカラオケボックスが次々とできていったように覚えています。
歌う、ということが好きだった私は、友人たちとカラオケボックスによく出かけていたように記憶しています。
そして、この「少年時代」をよく歌っていました。
私は井上陽水さんのCDやアルバムは持っていなかったのですが、なぜかこの「少年時代」だけは歌詞まで暗記して歌えました。
ドラマか何かの主題歌だったような記憶もないのですが、不思議なものです。
ネットなどなかった当時、歌詞の中の素敵な言葉の「風あざみ」「宵かがり」の意味をいろんな辞典で調べたけれど載っていなくて挫折したのもいい想い出です。
今は検索すれば、すぐに「陽水さんの造語」と出てくるから、便利になったものです。
さて、そんな思い入れのある「少年時代」ですが、縁があるのか、また耳にする機会がありました。
私がどうにもこうにもクスブって辛かった時期、焼酎に沈みながらその傷を癒してくれる音楽を探していたときに、その動画を見つけました。
宇多田ヒカルさんがカバーした「少年時代」。
ずいぶんと、この動画には救われました。
もう、歌い出しの一音目から惹き込まれます。
どこまでも切なく、それでいて透明感のある歌声。
ロングトーンの音が、なぜあんなにもまっすぐで心地よいのでしょう。
晩夏の午後に暑い中を歩いて、木陰に入って汗を拭って少し休憩したとき、一陣の風が頬を伝う。
その風の温度に、夏の終わりを想う。
そんな風の音のような、情感を抑えたビブラート。
そして、「永い冬が窓を閉じて」の歌詞の箇所。
普通に歌うと、
ながい ふゆが まどを とじて
という音節なのですが、この稀代の歌姫は
ながい ふゆが まどを とじ て
と歌っておられます。
「とじ」と「て」の間の、わずかなブレスによるほんの刹那の隙間。
この「間(ま)」が、とんでもなく美しい。
初見で聴いたときに、思わず巻き戻して聴きなおしてしまいました。
ご本人が意識してされているのかどうか分かりませんが、稀代の歌姫が自分の好きな歌をカバーして歌っておられるのを聴くと、いつも幸せな気分になります。
この歌姫のような方と、同時代に生きられてよかった。
その才能のきらめきを、見ることができるのは本当に喜び。
そんなことを、この歌を聴くと感じます。
そして、大好きな夏が少しずつ過ぎ行くこの時期に、この情感たっぷりの歌を聴くと、ますます過ぎ行く夏の寂しさを感じてしまうのです。
言葉と、リズムと、メロディと。
歌というのは、やはりいいものですね。
今日もお越し頂きまして、ありがとうございました。
どうぞ、ごゆっくりお過ごしください。