昨日は「言葉」について綴らせて頂きましたが、「写真」を撮るのも楽しいものです。
今から25年~30年くらい前、私が小・中学生の頃にようやくインスタントカメラなるものが世に出てきたように覚えています。
それまでは高価なカメラの操作方法を覚えないといけなかったりしてハードルの高かったカメラが、簡単に扱えるようになったのは衝撃だったように思います。
フラッシュまで付いていて1,000円前後で、コンビニや駅の売店で買えたように覚えています。
遠足やイベントごとの特別なときに持っていって、カシャカシャと撮っていたように思います。
それでもインスタントカメラ一つで24枚撮りとか36枚撮りとかで、撮った後は写真館などに現像しに行かないといけませんでした。
それが20年~15年くらい前になると、普及しだした携帯電話に「カメラ機能」が付くようになりました。
「写メール」というネーミングセンスも天才的だったように思いますし、現像しなくてもデータで画像が見られるというのも衝撃的でした。
今からするとすごく画素数の荒い画像でしたが、それでも「いつでも、どこでも」写真を撮ってデータで保存したり通信したりできる、というのはすごいことだな、と思うのです。
そして今や、デジカメと変わらない画素数のスマートフォンも多いですし、SNSなんかも写真全盛の時代になりました。
アナログな私ですので、振り返ってみてもテクノロジーの進歩というのはすごいものだな、と感じます。
そんな身近になった写真ですが、「カメラロール」(撮った写真データの保存場所)がその人の頭の中の一等地を表している、とはよく言われます。
美味しいものが好きな人は美味しいものだらけで、
お花が好きな人はお花に溢れてて、
風景が好きな人は綺麗な景色が並んでて、
ダンスをしている人はダンスの写真がたくさんあって・・・
「インスタグラム」をされている方は、そのパーソナルページがそれに近いかもしれません。
要はこの世界のどこを見ていて、どの部分を切り取っているのか、ということなのだと思うのです。
私の「カメラロール」は、いまは
空や雲の写真と、
美味しいお酒と肴の写真、
訪れた場所の写真、
そして家族の写真が多いようです。
見ようと思えば、どんなものでも見えるのがこの世界です。
美しいものを見ようと思えば、その人の眼にはそれが映るでしょうし、
逆もまた然り、です。
けれどデータとはいえ「撮ったものが残る」となると、やはり「自分の好きなもの」を撮るのではないでしょうか。
日々、何を撮ろうか考えていると、
平坦に見えた毎日が、実はいろんな奇跡に溢れていることに気づきます。
一瞬一瞬を大切に切り取りたくなるんですね。
この歩いてる道の美しい視点はどこだろう、
この人の魅力はどの表情だろう、
この料理はどのアングルが一番美味しそうに見えるだろう、
といった「美点凝視」が簡単にできてくるように思います。
そして、その感性は意識すればしただけ、磨かれていきます。
日々を豊かにしてくれます。
テクノロジーの進歩とはすごいもので、SNSをはじめとした遠く離れた人とも写真を通じてつながることができるツールもたくさんあります。
写真って、やっぱりいいですね。
もっともっと、写真を撮ろう。
眼に見える世界の、美しさを切り取ろう。