「自己受容」、すなわち今のままの自分を受け入れること。
「自己実現」、すなわち何かを変えて現実化すること。
いろんな文脈で、そのいずれもが重要だと語られる。
けれど、そこで語られる内容は相反する内容に見えることが多い。
私はずっとそれが腑に落ちなかったのだが、最近ようやく一つの気づきがあったので、書いてみたい。
結論から言うと、それは「両立」できる。
ただし、「順番」がある、ということ。
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ディズニーのあのヒット映画を持ち出すまでもないが、「ありのままの自分」という言葉はいたるところで目にするようになった。
最も偉大な自己肯定は、「デキる自分」や「綺麗な私」でいることを認めることではなくて、「ダメな自分」や「劣っている私」を「それが私」「それでOK」とマルをつけてあげることだ。
それは言い換えれば「今のままの自分を認める」「包み込む」「受け容れる」という女性的な資質を育む、ということ。
そうした資質は、誰しもが持っている資質であり、魅力のある男性というのは間違いなくこの女性性が長けている人が多い。
「あなたは、そのままのあなたが素晴らしいのよ。生まれてきてくれて、ありがとう」
幼子が、彼ら/彼女らにとって絶対的な存在である母親にその言葉をかけられたとき、幼子にとって世界は美しく完璧で優しい桃園になる。
そのような受容が、「癒し」であり「浄化」とも言える。
もちろん、幼子の時代にそんな言葉は聞いたことがないという人もいるだろう。
それはさして問題ではない。
大きくなった自分が、あの幼かった自分自身にその言葉をかけてあげることが、「癒し」であり「浄化」になるのだから。
そうした「自分を受け入れる」ことを、言い換えると「女性性を育む」と呼ばれるものだ。
それは感情であり、柔らかさであり、繊細さであり、つながりを求めることであり、温かさであり、優しさや慈愛、無邪気さを学ぶことでもある。
身の回りに争いや諍いといった出来事が目についたり、同じ悩みに何度も悩まされるときは、こうした「自己受容」に目を向ける必要がある。
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一方で、今ではない遠くの地点へ自分を運ぶメソッドも世の中には溢れている。
多くのビジネスの手法がそうだし、自己啓発の分野のメソッドも、「自己実現」の方法であると言える。
それらの手法やメソッドを使いこなすには、論理的や、積極性、行動力、決断力、リーダーシップといった資質が必要になる。
それらは逆に「男性性を鍛える」と呼ばれるものであり、先ほどの「自己受容」とは真逆の資質である。
男性性とは推し進めることであり、切断することであり、論理と思考であり、掴み取る力、創造する力である。
それは男性だけに備わっているものではなく、成熟した魅力のある女性の内面の湖には必ず湛えられている資質でもある。
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こうして見てくると、「自己受容」と「自己実現」という二つの言葉は、相反する資質を使うことが分かる。
あなたは今のままでじゅうぶんだよ
そんなにもがんばらなくてもいいよ
ちゃんと周りの人の助けを受け取ってね
そうしたステージと、
お前はもっとやれるんだよ
限界なんて自分が決めるんだぞ
お前がリーダーとなってみんなを導くんだ
というステージとでは、
求められる資質が真逆なのだ。
人は往々にして自分の状態というものを客観的に見ることが難しいものだから、
パックリ開いた古傷から血を垂れ流してフラついているのに、「まだまだやれるはず」と気丈になってみたり、
その身にエネルギーがあり余っているのに、運動不足で逆に体調を崩してしまったりする。
傍から見れば、
いやいや、まずは休もう?だし、
とりあえず走るなり筋トレして体動かしたら?
と見えることもあるかもしれない。
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そうした相反する二つの資質。
両立するのため必要なのは、「順番」ということをなのかもしれない。
両方を同時にやろうとしない、ということ。
動く、休む。
産む、育てる。
創る、壊す。
受け容れる、手放す。
右足、左足。
同時にやろうとすると、必ず混乱する。
そして、必ず先に来るのは「自己受容」であり「癒し」であり「女性性」なのだ。
その逆では絶対にない、と最近つとに感じる。
生命の基本仕様が女性であるように、何かを産み育むことの根本にあるのは、やはり「女性性」なのだ。
何かを変えるのは、その後。
「男性性」の思考的で論理的な能力は、「女性性」の土台の上にしか成り立たたない。
その「順番」を間違えると、なかなかうまくいかない。
そして、それは交互に必要になりDNAの螺旋のように、旋回しながら成熟していくのだろう。
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もしも、いまの自分の「順番」が分からなくなったら。
空をぼーっと見上げてみるのがいいのかもしれない。
「女性性」を育むときは、世界の完璧な美しさに気づくだろうし、「男性性」を鍛えるときは、ピクニックなりキャッチボールなりしたくなる。
いずれにしても、今日も世界は美しいのだ。