人の感情、思考は気候や節気といったものに影響される。
何か感情が浮かんでくると、それを抑え込んだり、理由や原因を求めてしまうことも多いけれど、「今はそんな時期なのかも」とその感情をそのままに受け入れることも大切なのかもしれない。
そういった意味でも、以前の自分の感情を振り返る、ということはとても意味のあることのように思える。
「アウトプットして残しておく」ということの効用は、そういった意味でも大きい。
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Facebookを使っている方はご存じだと思うが、「過去のその日の投稿を振り返りましょう」という便利な機能がある。
私は使い始めてまだ1年半くらいなのだが、「1年前の自分の思考」を見るのはなかなか楽しい。
ああ、そういえば1年前はこんなところに行ったな、とか
そういえばこんなこと考えてたな、とか
こんな本を読んだな、とか。
それはまるでコメント付きの自分アルバムを見ているようで、楽しい。
変わってないな、と思ったり、ずいぶんと成長したな、と思えたり。
私はもう10年以上「ほぼ日手帳」を使っていて、何年か前から毎日3行日記をつけているのだが、それを読み返すような懐かしい感じを受ける。
そして不思議なことに、同じ時期の投稿は、同じような感情が目につくのだ。
1年前は、こんなことを投稿していたようだ。
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仕事帰りの車中で中島みゆきさんの「時代」を聴いていたら、ほろほろとホロホロ鳥になってしまった。
たとえ今日は果てしもなく
冷たい雨が降っていても
のところで、歌声に何か深いところを掴まれた。
雨が降っているわけでも、何か悲しいことがあったわけでもないし、最近毎聴いているのに不思議な時間だった。
それが何なのか気にしたり、名前を探したりしなくても大丈夫。
いろんな感情を感じられた分だけ、目の前の世界はきっと豊かになる。
2017.11.3
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どうもここのところ、感情が揺れたり沈んだりしていたが、もしかしたら私はこの秋の時期にはそういう感傷的になる傾向があるのかもしれない。
それは、何か理由や原因があるということよりも、暑くなると汗をかく、くらいの生理現象なのかもしれない。
感情は抑えようとするほどに、しつこく暴れてくすぶる。
あるがままに、「いま私はこんなことを感じているんだ」と受け止めることができると、消化されて抜けていく。
思うに、人の成長とは「感情の繊細さ」の成長とも言えるのかもしれない。
自分がいま感じている感情を繊細に扱えるようになった分だけ、それを外界に投影し、実際の行動に反映されていく。
人の成長は、「感情の繊細さ」の成長なのだ。
そういった意味では、過去に自分の感じていたことを記録していく、ということはとても意味のあることのように思える。
アウトプットして残しておくということは、自分にとってとても貴重な財産になる。
今は本当に便利な世の中になって、日記に限らず、ブログでも、SNSでも自分のアウトプットを記録として残しておけるツールがたくさんある。
ということで、自分の感情を振り返ることはとても意味のあることであり、それを残しておくことの大切さを感じたので、これからも続けてみようと思う。
お世話になっている、このはてなブログさんのキャッチコピーではないけれど、「思いは言葉に」。
書こう、自分の大切な想いを。
遺そう、自分の大切な想いを。