今朝の断酒を宣言したこの↓エントリーからの続き。
立冬を臨む霜月の小雨の降る橋の上で「断酒」という史上最大の手放しを決意すること。 - 大嵜 直人のブログ
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断酒を静かに決めた、小雨の中の外出から帰ったあと。
めずらしく息子はらくがき帳を取り出し、何かの絵を描き始めた。
絵を書いたり、色塗りをしたりするのは専ら娘の方が専門職なので、めずらしい。
らくがき帳から髪を取り外しては、一心不乱で何かを書いている。
まだ平仮名を書くのに拙い息子は、ときどき鉛筆を私のところにもってきては、四角く囲ったところに「ここに『り』って書いて!」「ここに『な』って書いて!」と何度となくねだってくる。
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途中で娘がスッとぼけて、その「原稿」にラクガキをして大いにモメた。
緑の色鉛筆で書かれたその文字がなかなか消えなくて、文房具屋に色鉛筆用の消しゴムを買いに行ったりと、なかなかイベントたくさんではあったが、息子は集中した顔で「原稿」に向かっていた。
いったん中断させて風呂に入れたが、風呂から上がっても髪も乾かさずに鉛筆を握っている。
もう寝ようよーと言っていた娘がとうとうオチた頃、息子は「できた!!!」と何枚にもなった原稿を書き上げた。
家にある恐竜の友達の一日を描いた大作だった。
公園で遊んで、ドーナツやさんに行って、コーヒーやさんにいって、お家に帰ってトランプして、お風呂入って、おやすみ、という大作。
「絵本にして」と言われるままに、ホッチキスとテープで製本した。
大作を手にした息子の目は、輝いていた。
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そういえば、その主人公になったトリケラトプスは、1年半前の春分の日の思い出の恐竜だった。
荒ぶる息子の中に、「本当にやりたいことって、なあに?」という問いかけを覚えた日だった。
1年半以上も経ったけど、ようやくその問いに答えが出せそうだ。
息子のように、なりたいのだ。
童心のままに、何かをつくりたいのだ。
周りからどう思われるかとか、それをする意味とか、役に立つとか、お金になるとか・・・そういうことを脇に置いて、コンテンツをつくりたいのだ。
「つくってどうするのか」とかは、後からの話だ。
人生における一つの真実とは、
準備が万端になってからものごとを動かす
のではなく、
動き出すから準備が整っていく
のだ。
陽が落ちて自分の手が真っ暗になるまで必死になって遊んだ、遠き日の缶蹴りのように。
無心に、ただひたすらに、コンテンツをつくりたい。
ただただ、夢中にいる時間を過ごしたいのだ。
ただただ、昨日の息子のような目をできる瞬間を過ごしたいのだ。
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必要なものは、必要なときに教えられる。
おそらくは、私が断酒を決めたとこと、息子の童心の教えは無関係ではないように思う。
才能とは、環境が決める。
そして、環境を決めるのは、覚悟である。
いままでさんざっぱらお世話になってきた「お酒の愉悦」を捨ててでも、得たいもの。
コンテンツを、つくる。
ものがたりを、書く。
書くことに、夢中でいたい。
いつも小さな先生は、大切なことを教えてくれる。