ジュリア・キャメロン著「The Atrtist's Way(邦題:ずっとやりたかったことを、やりなさい。)」の実践ワーク4日目。
今日も早起きして「モーニング・ページ」をやってみた。
頭に浮かぶよしなしごとを、ノートに書いて形にして残していく。
3ページというのは、長いようで短く、短いようで、長い。
今日もだいたい20分強かかった。
書きあがったあとはある種の充実感があるが、すぐにノートを閉じてもう読み返さないようにする。
ただ、今日の最後に書いた自分の肯定する言葉は、
「すべての出会いを、信用しよう」
という言葉だった。
自分のこれまでのすべての出会いを信用すること、それは最高の自己肯定の一種のように思える。
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さて、「モーニング・ページ」はこのくらいにして、第1章の内容を少しずつ読み進めている。
キャメロン氏は、誰しもの内に創造性豊かなアーティストの魂が眠っているという。
しかし、人が成長していく中で、この幼いアーティストを否定する「常識的で」「理性的な」忠告やアドバイス、あるいは批判にさらされるうちに、幼いアーティストを抑え込み、葛藤するようになる。
臆病な幼いアーティストたちは、不安を煽るような親の忠告に出くわすと、ますますおびえ、アーティストになりたいという輝かしい夢を早々とあきらめてしまう。その結果、輝きを失ったたそがれの世界の中で、満たされぬ思いと後悔を抱き続ける。
このように、アーティストになりたいという夢を抱きながらも失敗するのが怖くて一歩を踏み出せず、葛藤している人間がたくさにいる。私が影のアーティストと呼んでいるのはまさにそうした人たちなのだ。
「第1章 安心感を取り戻す」 p.42
耳が痛い話である。
これはアーティストに限った話ではなく、世の人の才能や資質と呼ばれる部分全般に言えるような気がする。
ほんとうは愛情豊かなのに、
過去の恋愛で傷ついて殻に閉じこもってしまう人。
誰よりも優しい心を持っているのに、
その優しさを表に出すのが怖くて蓋をしている人。
人を楽しませる天賦の才があるのに、
人間関係がうまくいかずその才を忘れてしまっている人。
そんな人は多い。
皆、うまくいかなかった経験を、外野の意見や自分の人生と無関係な批評家の言葉によって、自分のあふれる才能が原因だと思い込んでしまっているのだ。
おびえが強すぎてアーティストになれない人、自己評価が厳しすぎて自分がアーティストになる夢をもっていることをみとめられない人、そういう人たちが影のアーティストになる。影のアーティストは、積極的にアーティストになる夢を追いかけている人たちの周辺によく見つかる。
同上 p.44
私の経験からいうと、影のアーティストは自分に厳しくあたり、夢の実現に向けて努力してこなかったと自分を責める傾向がある。こうした自分に対する厳しさは、影のアーティストとしての地位を強めるだけにすぎない。創造性を育むには、養分が必要であることを思い出してもらいたい。影のアーティストは十分な滋養を受け取ってこなかったのだ。
同上 p.45.46
ここで言う「滋養」とは、当然「自分を肯定する言葉のことである。
「モーニング・ページ」のワークが自分を肯定する言葉で終わりましょう、と言っているのは、自己否定する癖を手放し、自分を無条件で肯定する癖をつけましょう、ということだ。
すべては、どんな自分でもOK、という絶対的な自己受容から始まるのだから。
さて、引き続き第1章を徐々に読み進めるとともに、第1週目の他のワークがあるのでそちらにも取り組んでいきたい。
ちょうど週末なので、「アーティスト・デート」のために100均ショップに行こうと思う。