大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

それはそれとして。

歯医者に口を開けているとき、

ただ時間が早く過ぎるのを我慢するだけだ。

実は本当に痛くて怖いのは、

長く待たされる待合室の時間なのかもしれない。

「痛み」の中にいるとき、不思議と痛みは感じない。

「痛み」に限らず、自分の感じていることを理解するためには、

ただ観る人になる必要がある。

「痛み」の中にいるとき、それは驚くほどに静かだ。

台風は、遠いほどに荒れ狂っているように見えるが、

その中心はまったくの無風だ。

どんなに高い波が列をなす嵐も、

光の届かないほど深い底には、静かな闇が広がっている。

暴風も、静寂も、

痛みも、癒しも、

すべてひとつなぎのうねりの中にいる。

そして、

「痛み」が通り過ぎると、「癒し」がやってくる。

その「癒し」が通り過ぎると、また別の「痛み」がそっと訪れる。

私は座り、ただ目を閉じる。

自分の顔、かたち、すがた、声、想念・・・

それはそれとして、

それをただ観る人になる。

やがてそこへ、ありとあらゆるものがやってくる。

その身を斬るような痛みが訪れる。

この身をよじるような喜びが訪れる。

凍えるような寂しさがやってくる。

春暖のような繋がりがやってくる。

真夏の夕立の雷鳴のような怒りが噴き出る。

丑の刻に深々と積もる雪のような諦念が滲み出る。

南国の孔雀の羽根のような極彩色が浮き出てくる。

色彩のない白と黒の世界に沈み込む。

呑み込まれるような好意を寄せられる。

蛇蝎に向けるような敵意を寄せられる。

巨大な建築物が崩れ落ちる轟音が聞こえてくる。

天衣無縫のような天上の音楽が聴こえてくる。

掌に触れた刹那に消える粉雪のような儚さが見えてくる。

嵐の前でしなやかに揺れる柳のような強さが見てくる。

星彩と福音とともに大天使がやってくる。

遠雷と瘴気とともに魑魅魍魎がやってくる。

けれども、私はどこへも行かない。

ここに、いる。

それらは、みな「観る人」になることで見えてくる。

それでも、それらは何もしない。

ただ、通り過ぎるだけだ。

ただ、通り過ぎるだけ。

そして私は、それらをただ観るだけだ。

そのあとに残るのは、耳が痛いほどの、静寂。

しばらくすると、またそれらがやってくる。

通り過ぎる。

また訪れる、静寂。

やはり、

その静寂は、愛と呼ぶべきものかもしれない。

静かに私は目を開ける。

私はどこにも行っていない。

私はどこにも行かない。

いまここに、いる。