心から大切な人を想うとき、人はどんな言葉を紡げるのだろう。
大切な人にかける言葉を選ぶのに、いつも逡巡する。
メールなり手紙なりの最後に、その人のことを大切に想う気持ちを伝えようとしたら、どういう言葉を書いたらいいのだろう、と。
よい日になりますように
よくなりますように
うまくいくといいね
いいことがありますように
「うまくいく」「いいこと」「よいこと」・・・
それを「私が」判断することの愚かしさに、いつも指が止まってしまう。
「塞翁が馬」の故事ではないが、この世界はすべてひとつなぎの糸でできているように思う。
それがねじれたり、よつれたり、よじれたりしながら、美しい糸を紡いでいる。
天にも舞い上がるほどに浮かれたようなことが、あとから振り返ると階段を降りるサインだったり、
心をばらばらに打ち砕かれてしまうようなことが、実はその後の人生の大きなギフトになったり、
そんな経験は、誰にでもあるのではないだろうか。
物憂げな春の陽気があり、夏の気怠い暑さがあり、秋の寂寞とした夕暮れがあり、張り詰めた冬の朝の空気がある。
それはこの瞬間も留まることなく、流れていく。
そこに「うまくいく」も「よい」も「いい」も、ない。
秋の空の美しさの下で、冬の寒さを気にしだすと、とたんにその空の色が色褪せる。
「ここ」に未来を持ち込むと、とたんに葛藤と不安を招き入れることになる。
秋の月の輝きの下で、焼けるような夏の陽射しに悩むことはできない。
「ここ」に過去を持ち込むと、とたんに後悔や苦悩、不満の窓を開けることになる。
その人の未来の大きな成功も栄光も、
その人の過去の小さな挫折も失敗も、
大切な人を想うときには要らないように感じる。
その人の最も素晴らしく魅力的なのは、等身大のいまこの瞬間なのだから。
あなたのことを、大切に想っています。
心から、大切なあなたのことを祈っています。
あなたが平穏と静寂の中で祈れるように、私は祈っています。
大切なあなたへ、祈りとともに。
私はいつもどんな言葉が相応しいのか迷い、逡巡する。
そうこうしていると、やはり単純に、
ありがとう。
が一番伝わるような気もしてくる。
心からその人のことを想うとき、人はどんな言葉を紡げるのだろう。