大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

それから ~1977年 有馬記念に寄せて

平成最後の有馬記念に寄せて、「史上最高の有馬記念」と称された伝説のレースについて綴ってみたい。

そのレースは、1977年の有馬記念である。

そのレースを語る前に、そこに至るまでの物語の序章から綴ってみようと思う。

なにしろ、明日は有馬記念。
夜は長いのだ。
そんな長い夜を、こうして過去の名勝負に想いを馳せて過ごすのも至福である。

1.1976年クラシック戦線

・関西の総大将と、年明けデビューの天馬

1975年の阪神3歳ステークスを圧勝し5連勝とし、久々の関西期待のクラシック候補となったのが、テンポイントだった。

見てくれ、この脚、見てくれ、この脚!

これが関西の期待、テンポイントだ!

2着馬に7馬身差、1.1秒の大差をつける独走のゴールに、関西テレビアナウンサー・杉本清氏の名実況が生まれた。

美しい流星に、輝く栗毛の馬体。
そして伝染病(馬伝染性貧血)に感染した診断により殺処分を受けたが、関係者の尽力によりその血をつないだ母の母・クモワカから連なるという、物語性のある出自。
ハイセイコー以来となる、時代を担うスターとなる資質は十分なように見えた。

しかし年の明けた1976年1月31日。
一頭の優駿が、東京競馬場でデビューする。

トウショウボーイ。
父・テスコボーイ、母・ソシアルバターフライという良血ということでデビュー前から期待され、その通りに3連勝を飾る。

そのすべてが一番人気での圧勝。

迎えたクラシック本番、新緑萌ゆる皐月賞では「関東期待のトウショウボーイ」対「西の総大将テンポイント」という図式となった。

しかしトウショウボーイはその皐月賞で、テンポイントを歯牙にもかけずに5馬身差をつけてねじ伏せる。
レースレコードを0秒1更新するレコードタイムでの圧勝。

それまでのテンポイントが5戦とも圧勝してきたことを考えると、桁外れの強さ。
当時のマスコミは、トウショウボーイを「史上最強」と書きたて、「天馬」と呼称するようになる。

皐月賞の圧勝を受け、続くダービーでトウショウボーイは単勝支持率43%までの人気を集める。

しかしそのダービーでは直線入り口で、加賀武見騎手とクライムカイザーの「一世一代の斜行」により怯んだトウショウボーイは、体勢を立て直し猛然と追い上げるも届かずの2着。

一方のテンポイントは雪辱を期すはずだったが、体調が整わなかったことに加えて、デビューから手綱を取っていた鹿戸明騎手が落馬の怪我により騎乗不可となった。
乗り替わりで名手・武邦彦騎手を配したものの、本来の走りからは程遠く7着に沈んだうえに、レース後に左前脚の剥離骨折が判明したため、休養の夏に入った。

・最後の一冠、遅れてきたもう一頭の主役

夏を過ぎ実りの秋を迎えた2頭の対決は、「最も強い馬が勝つ」といわれる最後の一冠、菊花賞へと舞台を移す。

3000mの淀の長い道中、関西テレビの杉本アナウンサーの名実況が響く。

今日もテレビの画面を独占するか、トウショウボーイ。天才に天才が乗り、速さを感じさせない速さで菊に向かってひた走ります。相手が天才ならこちらは根性に根性です。ダービーの再現とばかり妖しく光る黒い馬体、クライムカイザー。加賀、執念のムチにどう応えますか。

しかし、こちらも三度目の正直。
前走・京都大賞典からテンポイントの鞍上に復帰した鹿戸明騎手は、抜群の手応えで最後の直線を迎えた。

落馬、骨折と、春は悲しい運命に泣いたテンポイント。ラストチャンスに見せてくれ、あの脚を。

テンポイントだ、テンポイントだ、テンポイントだ、それゆけテンポイント、ムチなどいらぬ、押せ!テンポイント!

もはや実況というより、一人のテンポイントファンの叫び。
しかしそんな杉本アナの願いをよそに、テンポイントの内をスルスルと伸びてくる緑のメンコを被った鹿毛の優駿。

グリーングラスだった。

奇しくもトウショウボーイと同じ日、同じレースでデビューしていたこの晩成馬は、抽選でこの菊花賞出走に漕ぎつけた12番人気の伏兵中の伏兵だった。

だが父は名うての長距離砲・インターメゾ。
3000mの大舞台に父の血が騒いだのか、大金星を挙げる。

テンポイントは2着。
初めてトウショウボーイ(3着)に先着したが、悲願の戴冠は叶わなかった。

天馬・トウショウボーイ。
流星の貴公子・テンポイント。
緑の刺客・グリーングラス。

ここに「TTG」と称される時代の主役3頭が出揃った。

・テンポイントの戴冠、TTG三強へ

同年暮れの有馬記念。
トウショウボーイ1着、テンポイント2着、グリーングラス不出走。
4歳2頭によるワンツー、レコードタイムでの決着。

そして年が明けて1977年、春の天皇賞。
テンポイント1着、グリーングラス4着、トウショウボーイ不出走。
疾病によりトウショウボーイは不出走だったものの、テンポイントは先行策からグリーングラス以下の追撃を見事に振り切った。

これが夢に見た栄光のゴールだ、テンポイント1着!

杉本アナも喜びを爆発させる、テンポイント悲願の初戴冠。

菊花賞、有馬記念での連続2着から、「悲運の貴公子」とも呼ばれたテンポイントだったが、ここで初めて八大競争のタイトルを獲得した。

同年、春のグランプリ・宝塚記念。
トウショウボーイ1着、テンポイント2着、グリーングラス3着。
2度目のTTG揃い踏みとなった一戦は、天馬が中距離での強さを見せつける快走で勝利する。

同年、秋の天皇賞。
グリーングラス5着、トウショウボーイ7着、テンポイント不出走。

逃げたトウショウボーイだったが、道中ずっとグリーングラスに絡まれたことで、勝ち馬のホクトボーイから大きく離れた7着と、初めて大敗を喫した。
アヤをつけたグリーングラスも、掲示板を確保するのがやっとと、共倒れのレースとなった。

2.TTG三強、最後の対決

・そして最後の対決へ

同じ1977年の暮れのグランプリ・有馬記念で、TTG3頭が揃って出走することとなった。

しかし天馬・トウショウボーイは、この有馬記念を最後に引退、種牡馬入りすることが事前に発表されていた。

こうして、この1977年有馬記念での「TTG」直接対決は、3度目にして最後の対決となることが戦前に決まっていた。

菊花賞では、グリーングラスがスタミナ十分に内を抜け出して勝利。
宝塚記念では、トウショウボーイが快速を飛ばして勝利。
テンポイントにとっては、三度目にして最後のチャンス。

1977年12月18日。
運命の、有馬記念の日を迎える。

・交錯するプライド

レースはTTG3強が揃うことに怖れをなした他陣営もあり、8頭立てという少頭数となった。

1番人気は、3枠赤帽・テンポイントと鹿戸明騎手。
2番人気は、1枠白帽・トウショウボーイと武邦彦騎手。
3番人気に、6枠緑帽・グリーングラスと嶋田功騎手。

トウショウボーイの鞍上・武邦彦騎手は、テンポイントの鹿戸明騎手には負けられなかった。

鹿戸騎手で連勝してきたテンポイントに、ダービーで乗り替わったのが武邦彦騎手だった。
そしてそのダービーで7着に惨敗したテンポイントの手綱は、再び鹿戸騎手の手の元に戻ることとなった。

今の有馬記念の騎乗ジョッキーからすると考えられないが、このときの鹿戸騎手は前年4勝しか挙げていない、裏街道のジョッキーであった。
それに対して、「ターフの魔術師」と称されつねにマスコミの注目を集めていた花形ジョッキーの武邦彦騎手。

前年の有馬記念で池上騎手からトウショウボーイの手綱を受け取った武邦彦騎手は、その後テンポイントの後塵だけは拝していなかった。

トウショウボーイの引退の花道を飾るためにも、男としての意地からも、絶対に負けられない戦い。

しかし前年4勝と成績の振るわない鹿戸明騎手だったが、それだけに貴公子・テンポイントの騎乗では負けられない。
射手座生まれ、一発屋の血が騒ぐのだろうか。

三強と三人のそれぞれの想いが交錯する中、伝説のレースのゲートが開く。

3.1977年 有馬記念

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・予想だにしない展開

ゲートが開いて飛び出したのは戦前に逃げを予想されていたスピリットスワプスではなく、最内からトウショウボーイだった。
すぐに手綱を押して上がっていく赤い帽子のテンポイント。

普通であればポジション争いとなる1周目の3コーナーから4コーナーにかけて、2頭はまるでこのレースが2500mであることを忘れたかのように、ハナから激しい争いを演じる。 

一方グリーングラスは、前走の天皇賞でトウショウボーイを深追いしすぎて共倒れになった轍を再び踏まぬよう、4,5番手あたりに控えて虎視眈々と前の争いを静かに見据えている。

1周目のスタンド前、番手のテンポイントがじりじりと上がっていくと、武邦彦騎手はトウショウボーイを内に寄せ、テンポイントを馬場の荒れたインコースに封じ込めようとする。
荒れた重い内ラチ沿いを、ペースを握られた番手で追走することは、スタミナを想像以上に消耗するだろう。

1コーナーから2コーナーを周り向こう正面に入ろうとするところ、鹿戸明騎手はテンポイントはじりっとトウショウボーイと馬体を併せにいく。
閉じ込められるなら、いっそのこと前に出てハナを奪ってしまえ。

しかしそれを察した武邦彦騎手も、ピッチを上げて先頭を譲らない。

向こう正面で展開される、デッドヒートのような競り合い。
騒然となるスタンド。

・先に顔を上げた方が、負けだ

息の詰まるような2頭のつばぜり合い、
それは剣の達人同士の立ち合いを見ているようだった。

まるでお互いに水を張った洗面器に顔を突っ込んで、じりじりと過ぎていく時間。

先に顔を上げた方が、負けだ。

張りつめた緊張感のデッドヒートの中、テンポイントは何度も先頭を窺うも、トウショウボーイの武邦彦騎手の前に出ることができない。

二頭の空間は、開いたと思えば縮み、無くなったと思えばまた生まれた。
それはどこまでも続きそうで、どこまでも漂っていそうにも見えた。

そうこうしている間に、グリーングラスがいつのまにか3番手まで上がってきていた。
2頭が洗面器から顔を上げる瞬間を、この緑の刺客もまた狙っていた。

その緊張感の中、テンポイントがずるずると下がったように見えた。

トウショウボーイが単騎での先頭に立つ。

ここまでのデッドヒートがオーバーペースだったのか。
観ている者の脳裏に、そんな考えがよぎる。

しかし、テンポイントは死んでいなかった。

鹿戸明騎手は内から抜け出すのをあきらめ、いったんテンポイントを下げてから外に出す作戦に出たのだった。
外を回すロスも含んだ、リスクのある賭け。

トウショウボーイが3コーナーに差し掛かろうとするところで、テンポイントは外から馬体を再び併せにいった。

・直線を向く「T」と「T」、外から強襲する「G」

4コーナーをカーブして、全く同じリズムで馬体を併せ直線に向く2頭。
2000mを過ぎて死力を尽くしているはずなのだが、まるでワルツを踊るように優雅なようにも見えた。

これは世紀のレース、世紀の一戦だ。テンポイントがかわすか、かわしてしまったのか。テンポイントかわしたか、テンポイントかわしたか、トウショウボーイか、トウショウボーイか。

テンポイントの翌年の海外遠征の話を受け、普段は担当しない関東開催のレースで実況をしていた杉本アナは、このデッドヒートを「世紀の一戦」と表現した。

抜け出すテンポイント。
負けられない武邦彦騎手の鞭に応え、死力を振り絞って追いすがるトウショウボーイ。

不意に外から2頭を強襲するグリーングラス。
やはりここで伸びてきた。

TTG三強、最後の対決。

中山の短い直線を、三頭と三人の意地とプライドが激突する。

・中山の直線を、流星が走りました

しかしテンポイントの脚色は衰えなかった。

怒号のような歓声がスタンドから響くゴール前を、テンポイントは先頭で駆け抜けた。

テンポイントだ、テンポイントだ。
テンポイント!
中山の直線を、流星が走りました。
テンポイントです。
しかし、さすがにトウショウボーイも強かった。

中山の直線を流星が走る。
この死闘を飾るのにこれ以上ないテンポイントへの賛辞。

そしてライバル・トウショウボーイへの敬意も忘れないという、おそらく世界で杉本アナにしかできない名実況。

史上最高のレースとも称される、第22回有馬記念。
力のあるものが力を出し切って強いレースを観ると、やはり感動させられる。

杉本アナの名実況とともに、時代が変わってもいつまでも語り継ぎたい、競馬の本質が凝縮された2分35秒4。

4.それから

三頭の「それから」。

トウショウボーイは、戦前の宣言通りにこの有馬記念を最後に引退。
種牡馬としてシンザン以来の三冠馬・ミスターシービーを輩出するなど大成功した。

最近の活躍馬で言えば、コスモバルク、ウオッカ、スイープトウショウといった名馬の母系にその名を見ることができる。

グリーングラスは、その後脚部不安と戦いながらも、翌1978年の天皇賞・春、1979年の有馬記念を制するなど晩成馬らしく、末長く活躍した。
種牡馬としても重賞馬を何頭も出すなど長く活躍し、28歳まで長寿を全うした。

そして、テンポイント。
大一番を制して国内No.1となった貴公子は、年が明けると海外への挑戦を公言し輝かしい未来が待っているかに思われた。

しかし翌1978年1月22日、粉雪のちらつく日本経済新春杯の4コーナーで故障を発生。
42日間に及ぶ壮絶な闘病の末に、鬼籍へと入った。

三者三様の「それから」。

現役を長く続けた優駿も、
その血を遺した優駿も、
悲劇的な最期を迎えた優駿も、

2018年のいま現在には、もういない。

「寿命」という言葉が指し示す通り、
どのように生きた「命」であれ、
その最期は「寿」なのだと信じたい。

生命の瞬きのようなあのレースを観るたびに、私はそんな想いに駆られる。

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有馬記念、中山競馬場・芝2500m。
年が暮れる。有馬が、来る。

 

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 (参考文献)

「三冠に向かって視界よし」 杉本清(日本文芸社)

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