大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

「さんたさん」がだれなのか、ぼくはしってるんだ。

やあ、みんなげんき?

ぼくは「こうていぺんぎん」の子どもなんだ。

今日は「くりすます」だってね。

おいのりをささげて、「けーき」と「ちきん」を食べる日だけれど、「さんたさん」がぷれぜんとをくれる日でもあるよね。

今年はどうしても「さんたさん」がやってくるところを見たくて、じゅーすを飲みながら待っているんだけど、よいっぱりになっちゃった。

でも、このれもんじゅーす、とっても「すとろんぐ」でいいきぶんになってきたけど、なんでかな・・・

それにしても、「さんたさん」って、すごいよね。

たくさんの子どもたちに喜びをあたえるって、すごいよね。

ぼく、ずっと不思議におもってたんだよね。

「さんたさん」はみんなにあげる「ぷれぜんと」は、だれが用意してるのかな、って。

世界中のこどもたちにあたえることのできるくらいの「ぷれぜんと」を用意しているのは、いったい誰なんだろう。

そんなこと、おもったことない?

ぼく、あたえることのできる人は、うけとることのできる人って聞いたことがあるんだ。

けれど、もしそうだとしたら、「さんたさん」はどれだけたくさんのものをうけとってきたのかな・・・?

でもね、ほんとは「さんたさん」がだれなのか、ぼくはしってるんだ。

ほんとだよ。

・・・あ、うたがってるんなら、ぼくの言うとおりにしてみてよ、

「さんたさん」、きっと会いにきてくれるから。

そのためにはね、この「れもんじゅーす」を3本くらい、ぐびぐびして・・・

ごめんごめん、そうじゃなかった。

それはべつの「さんたさん」に「しょくしつ」されちゃう方法だった。

あのね、ちょっとだけ、しずかなところで座ってみてね。

それで、胸のまえで手をあわせてほしいんだ。

「くりすます」らしいでしょ?

それで、すこしだけ目を閉じてみてほしいんだ。

それでね、

だれのためでもなく、「じぶん」のために、
すこしだけ祈ってみてほしいんだ。

何をって?

何でもいいよ。

ようがんばってやってるな、でも
いつもありがとうな、でも
がんばってきたもんな、でも
よくがまんしたよね、でも
いちばんたいせつな人に話しかけるように、

すこしだけ祈ってみて。

それで、さいごに、くちもとを上げて、

「にっこり」してほしいんだ。

ここ、だいじ。

ぼくもいっしょにやってみるね・・・

・・・どう?

うん、ほっこりするよね。

ぼくもほっこりしたよ。

「さんたさん」、いたよね。

すごくこころをあたためてくれる、やさしい「さんたさん」が、そこにいたよね。

ぼくにも、きみにも。

ううん、じつは、ぼくもきみも、「さんたさん」だったのかな。

きっと、だれもが生まれたとき、「さんたさん」だったんだよね。

でも、ときどきそれをわすれちゃうこともあるよね。

わすれても、だいじょうぶ。

きっとおもいだすことができるから。

ただ、おもいだすだけ。

ただ、じぶんに、かえるだけ。

あなたもわたしも、「さんたさん」・・・

それじゃ、ぼくは「でいすい」してねむくなってきちゃったから、おねむにするね。

おやすみなさい。

どうぞ、よい「くりくます」の夜を・・・

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