大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

半崎美子さん「明日へ向かう人」に寄せて

「一目惚れ」、ならぬ「一聴き惚れ」をした。

あまりそういう経験がないのだが、そういう表現しかできない。

ふと偶然つけたテレビで、一人の美しい女性がピアノの弾き語りを歌っていた。

一瞬で、惹き込まれた。

その歌詞、その歌声、その世界観。

その歌う表情の、何と美しいことか。

それでいて、その歌詞の何と悲しいことか。

それなのに、その歌が指し示すのは、諦念の先の「希望」。

あぁ、これはあかんわ・・・

気づけば、涙腺が崩壊していた。

魂の深い大切な部分を、そっと優しく抱きしめられたように、しばらく呆けて何もできなかった。

ようやく正気に戻って、微かに覚えていた歌詞と半崎さんのお名前から、その曲が「明日へ向かう人」という曲であることを知った。

あらためて聴きながら、涙腺がバカになっている。

「美しさとは、残酷さの際にある。」

いつしか耳にした、そんな金言を思い出す。

この曲の5分間のなかに込められた、人が生きる上での絶望と、希望と、無力感と、喜びと、やるせなさと、笑いと、寂しさと、つながりと、悲しさと、怒りと、楽しさと、憎しみと、諦念と、虚しさと、いきどおりと、慕情と、憂いと・・・

そして、愛が詰められているのかと思う。

半崎さんは、それを背負って歌声にしている。

だからその一音一音が、心臓の鼓動とリンクするように響くのかもしれない。

その歌詞を聴いたとき、魂を鷲掴みにされたように動けなくなった。

いったい、どんな想いでこの歌詞を書かれたのだろうか。

なぜか、亡くした両親の顔が思い浮かんだ。

声を枯らしても、泣いても会えない人がいる。

それでも、生きることを信じることを、あきらめないで・・・

普段見ないテレビを、なぜ今日つけたのだろう。

ほんとうに必要なものは、必要なときに与えられる。

「人は18歳頃に聴いた音楽を一生聴き続ける」という話があるが、38の歳を重ねてこの歌に出逢えて、ほんとうによかったと思う。

得難い歌に、出逢えた。

人は、心が動くと単純な五文字しか思い浮かばなくなるのだろう。

ありがとう。

それしか、思い浮かばない。

ありがとう。