睦月の古都の日没は早い。
夕闇はあたりを包み、新月の今夜は月明かりもない。
またあの時間が近づいてきた。
この時間が終わるのは、いやだ。
サヨナラを言うのも、いやだ。
また一人になるのも、いやだ。
靴の裏にまるで接着剤が貼りついたかのように、
僕は殊更ゆっくりとしか歩けない。
けれど、ついに目に入ってきた地下鉄への入り口からは、
ドナドナの曲が聴こえてきそうだった。
不意に微笑みを浮かべながら、肩を並べてくれて、
楽しそうに親類の子の話をしてくれた。
けれども悲しいかな僕の頭は、
楽しかった一日のキックバックのような寂しさと、
次にいつ会えるのかばかりを考えていた。
「いま」を大切にしようなどと言っていながら、
いやいや全然、まったく、過去に未来に心は裂かれ、
「いま」を生きるなんてできてりゃしない。
=
寂しさ、は僕の人生の中でも
指折りの長さを誇る旧友だ。
それは二十歳過ぎに起こった、両親との
突然の別離から始まったように思っていたが、
どうもそうでもないらしい。
もっと昔から、この悪友は私の隣にいたようだ。
だからというわけではないだろうが、
5、6人という団体での移動が苦手だった。
その人数で道を歩いていると、
気づくと私は一人になった。
奇数のときは分かるのだが、
なぜか偶数のときでも、2+3+1になるのだ。
なぜだか、わからないのだが。
そんなとき、
肩を並べて前を歩く友人たちを眺めながら、
すきま風のように吹く寂しさに、
私はいつも身をすくめてきた。
=
どうも、今日はそうならなかった。
フルマラソンを走るためのトレーニングがどうだとか、
自分の野良猫っぷりに気付いて笑えるとか、
白紙の未来がどうだとか、
地図が読めないだとか、
ずっとそんな話をしていた。
なにより、二重のつぶらな瞳の天使は、
その小さな手を僕に差し出してくれた。
=
階段を降りて改札へ向かうほのかに暗い空間が、
ドラゴンボールの「精神と時の部屋」だったら、
どれだけいいだろう。
たしか、あれは一生の中で二日間しか入れなかったっけ。
だとしたら、迷わず48時間を選ぶんだろうな。
そんなめんどくさいことを考えながら、
僕はせっせと足の裏の接着剤を剥がしていく。
サヨナラが嫌いで、
別れの挨拶が嫌いで、
それでも感謝を伝えたくて。
何度も何度も手を振った。
目に映る、微笑みとともに揺れるその指先が、
すこし滲んで見えた。
=
一人、鶴舞線の揺れに身を任せながら、
僕はちゃんと聞けばよかったのかもと思いはじめる。
僕は、今日ここにいてもよかったですか。
つまらなく、なかったですか。
大事な一日を、無駄にしてしまわなかったですか。
自分の心の底の無価値観から、そんな問いが滲み出てくる。
やっぱり僕は、めんどくさい男だな。
それにしても一日よく歩いたせいか、足が張っている。
ぼんやりと太腿を軽く親指で押しながら、
僕が伝えたかったのは、
そんなことじゃないよな、と思い直した。
いつもその言葉たちを照れずに言えたなら、
誇れる自分でいられるように思う。
けれど、同じ場面を与えられることは二度とない。
その一瞬一瞬に、その人の生きざまは決まる。
=
いつもその行動力に引っ張られている、ありがとう。
来週末そして建国記念日のイベント、心から応援しています。
リーダーシップを見せてくれて、ありがとう。
その白紙の未来に、過去のどんな名作よりも素敵な物語を描いてください。
双子の写真見せてくれて、ありがとう。
僕の息子と娘も、そんなふうに仲のいいきょうだいで育ってくれるといいな。
いつも愛のあふれるコメント、ありがとう。
縁があって同じ船に乗れて、とても嬉しく思っています。
札幌で声をかけてくれて、ありがとう。
ブログ読んでますって言葉を聞けただけで、何かが弾けて浄化されました。
そして、小さな天使さん。
あっちむいてホイしてくれて、ありがとう。
とても愛情あふれた眼をしていて、癒されたよ。
こんどは、ちゃんと言えるといいな。
そのときまで、きっとサヨナラは
言わないでいいんだろうな、などと思った。