心惹かれた曲のアーティストの、過去の作品を追うのは楽しい。
確実に黄金が埋まっていることが分かっている、やわらかい金脈を掘るようなものだから。
かつて私が大いに掘った金脈である「CHAGE and ASKA」のデビュー曲、「ひとり咲き」に寄せて書いてみたい。
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私がCHAGE and ASKAの存在を知ったのは、中学生になるかならないかの頃だっただろうか。
当時、武田鉄矢さんと浅野温子さんが主演だったドラマ「101回目のプロポーズ」のタイアップとして「SAY YES」が爆発的に売れた全盛期だ。
Wiki先生を少し見てみたら、「SAY YES」のシングルのセールスがダブルミリオンの282万枚だそうだ。恐ろしい時代だ。
よく歌謡曲のテレビに出演してたのを観ていたし、姉がアルバム「SUPER BESTⅡ」を持っていたので、それを聴いていたのもあっただろう。
決定打だったのは、織田裕二さんと石黒健さんのお二人が主演のドラマ「振り返れば奴がいる」かもしれない。
平日夕方の再放送で何度も観て、織田裕二さんの演じる悪徳医者がカッコよすぎて憧れた。
その織田さんの整髪料たっぷりの髪形を何度となく真似しようとしたが、残念ながらくせ毛のためにまったくキマらず、己の髪質をいつも嘆いていた。
けれど、主題歌の「YAH YAH YAH」は、ウォークマン(iPhoneでもiPodでもない!)で擦り切れるほど聴いた。
そんなCHAGE and ASKAの歌に惹かれて、いろいろなところで情報を集め始めた。
Google先生に聞けばコンマ何秒で答えが出る今と違って、当時は「情報を得る」ことが本当に大変だった時代だと、振り返って思う。
街のCDショップに行って新譜の発売予定を調べたり、本屋さんでオリコンなどの週刊誌を観てみたり。
あるいは口コミで情報を集めたり、「PRIDE」というデビューからの軌跡を追った書籍を書店で注文したりして、それを読んで感動していた。
そして彼らがこれまでリリースしたCDたちを集めては、その音楽の素晴らしさ、繊細さに触れて、さらにファンになった。
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「ひとり咲き」は、CHAGE and ASKAのデビュー曲である。
リリースが私の生まれる直前の1979年だから、いまから40年前。
調べてみたら、インベーダーゲームが大ヒットして、 第2次石油ショックが起こり、国公立大学共通一次試験が開始された年。
時の総理大臣は大平正芳首相。
野球では「赤ヘル軍団」こと広島東洋カープが、 日本シリーズでかの有名な「江夏の21球」の末に近鉄バファローズを退けて、史上初の日本一に輝いた年。
昭和も昭和、平成も終わろうとする今からすると化石のような時代だ。
そんな時代に、福岡から上京してきたCHAGE and ASKAはこの「ひとり咲き」でメジャーデビューを果たす。
2019年のいま、Youtubeなどに上がっている動画を観ると、瑞々しい声で歌う二人の長髪にこそ時代を感じるが、歌そのものにまったく古さを感じさせないのは、どういうことだろうか。
唯一無二のASKAさんの歌声。
そしてCHAGEさんとのハーモニーの何と美しいことか。
なにより、歌詞がまた繊細すぎて感傷に浸らざるを得ない。
基本的に、男は自分から喋らない。
「とぎれとぎれ」に喋るときは、何らかの罪悪感を感じているときが多い。
ワンフレーズめで、脳裏に浮かぶ情景の豊かさよ。
恋の終わり。
しかも、「心からあんたにほれていた」とストレートに
表現できるあたり、女性の側も、もうその別離を受け入れ始めている。
相手を否定したり、拒否したり、「ほれていた」ことを
素直に受け入れることができないものだ。
便宜上、「男」と書いてしまったが、「自立」の側と言い換えてもいいかもしれない。
ときには男女逆にもなるだろうし、同性の恋愛もあるだろう。
別れという燃え尽きた痛みと、その痛みが引き起こす自己否定。
前を向かないといけないけれど、そうせざるを得ない心理。
いままで描いてきた夢色のキャンバスが、赤茶けた鈍色に変わる瞬間。
このあたりの心の襞、機微といったものを表現するのが、飛鳥さんは芸術的に上手い。
そして、サビのパワーフレーズの数々よ。
物静かな痛みの中での歌い出しから、ここまでテンションを盛り上げるのは、感動的だ。
別れによって灰となった中にも、眠っていた熾火がある。
ひとりでも咲けるさ。
その叫びは、聴く者の心の奥底にひっそりと儚く咲く「恋花」に光を当てる。
それは、いままで温かに守られた「依存」という場所を捨てて、「自立」に至る再誕生の道のりのようにも見える。
ただ、「ひとり」咲く「自立」の立場の裏には、「依存」の時代に深く傷ついた記憶が隠れている。
このサビの部分を聴いていると、私はどうしようもない悲しさを覚える。
それは、「依存」の時代に傷ついた記憶の蓋を開け、外気に晒してくれるからなのかもしれない。
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「ひとり咲き」は美しい歌であり、それでいて悲しい歌でもある。
その美しさと悲しさは、人が依存から自立に至るまでの道のりの美と悲しみでもある。
それは時代が変わろうとも、社会的な男女の関係が変わろうとも、普遍のものである。
この40年前の曲が、いまでも輝きを放って止まないのは、おそらくそんな人の心の奥底の機微を歌うからなのかもしれない。
これから何年経とうが、この曲のすばらしさは変わらない。
人の感情の機微というものが、尊いものであるように。
おそらく何年経っても、道端にひとり咲く花に心を奪われるように、私はこの「ひとり咲き」にこれからも心を動かされるのだろう。
いや、むしろ歳を重ねた方が花の美しさを感じられるように、この歌のすばらしさもまた歳を重ねるほどに、より深く味わうことができるのだろう。
歳を重ねるとは、かくもすばらしきことかな。
「ひとり咲き」之図。