大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

2月終わりの雨と、鉄錆のすえた匂いに。

気づけばもう2月も終わりだった。

もう週末には春の訪れを告げるクラシックトライアル、チューリップ賞と弥生賞が控えている。

しばらく暖かい日が続いていたが、朝から冷たい雨が梅の花を濡らしていた。

三寒四温。

寒くなったり暖かくなったりしながら、春は訪れる。

今日は珍しく鉄の匂いのする場所での仕事だった。

広い倉庫は底冷えして、風邪をこじらせている身体にはしんどい。

ときおり鼻にかかる、雨の匂いと入り混じった、すえたような錆の匂い。

祖父の家の匂いを思い出す。

町工場の鉄工所を経営していた祖父の自宅兼工場(工場は「こうじょう」ではなくて、「こうば」と読むのが当時の面影をよく感じるように思う)は、いつもこの鉄の香りと、あと油の香りが入り混じっていた。

高度経済成長期を支えた地方の町工場の歩みは、そのまま祖父の人生だったのだろう。

世がバブルの夢から醒めた頃、祖父はそっとその工場を閉め、信頼していた従業員の方に設備を譲った。

精密部品やら航空機の何やらを作っていたのだの、腕がよくて引き合いが多くて閉めるとき大変だっただの、そんな話を聞いたことがあるが、もう今となっては当時を知る人もいないため、詳しいことは分からない。

ただ、経営の規模は小さくても、器量の大きな経営者だったようで、祖父が引退して、ほどなく亡くなってからもその人徳を第三者から聞いた。

法事で、墓参りで、あの土地の周りに暮らす人たちから。

時折、私の父よりも、私の方が祖父に似ていると言われた。

風貌が、なのか、それとも内面的なものなのかは、分からないが。

隔世遺伝ではないが、そういうこともあるのだろう。

この雨に濡れた鉄と錆のすえた匂いを嗅ぐたびに、私はあの祖父の工場で座っていた祖父を思い出す。

デスクと呼ぶよりは机と呼ぶのがふさわしいような、小さな机に帳面を広げて、祖父はあれこれ考えをめぐらせていたのだろうか。

鉄を加工したあとの切り屑が、鰹節の削り節のように細くくるくると曲線を描いていた。油を吸っていたからだろうか、あの鉄屑は、七色にきらきらと輝いていた。

あの祖父の自宅兼工場は、もう今はその面影もない。

けれど、氏神らしき神社の、積み上げられたお神酒の樽の前で、祖父と並んで撮った写真の中の私は、今も笑っている。

私は一つ咳払いをした。

咳の音が、マスクから漏れ出た。

がらんとした天井の高い倉庫に、その乾いた音が響いた。

相変わらず風邪は治りが悪く、咳が出るうえに昨日あたりから微熱が出てきたようだ。

もう少し、完治には時間がかかりそうだ。

今日の仕事の方も、まだもう少しかかりそうである。

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