朝から少し雲が出ていたが、雲の合間からは日差しが覗いている。
手帳を見ていると、万物清らかな「清明」から、穀物に実りの雨をもたらす「穀雨」に節気は移っていることに気づく。
少し前まで冬物のコートを着込むほどに冷え込んでいたのに、季節が変わるのはあっという間だ。
陽気に誘われて、近所の公園へ息子と遊びに行く。
一度公園に着いたのだが、「やきゅうがしたい」と仰せつかったため、もう一度家と公園を往復する。
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なだらかな斜面になっている広場で、数メートルの間をはさんでキャッチボールを始めた。
私は下から、息子はピッチャーの真似をして上から投げる。
「胸をめがけて投げるんだぞ」
「ずっとボールを見ていたら、捕れるから」
周りには、フラフープやバトミントン、犬の散歩を楽しむ人たちの声が聞こえる。
「惜しいぞ」
「ナイスボール」
時折吹く風の音が、耳を優しく叩く。
「あぁ、低かったか、ごめん」
「いいボールだ」
グローブにボールが収まる音が、心地よかった。
いつしか会話は消えて、私は童心に還っていた。
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息子と同じ小学校の頃、私はずっと一人で壁当てをしていた。kappou-oosaki.hatenablog.jp
故・星野仙一監督率いる中日ドラゴンズが優勝したのが昭和63年らしいから、私が小学2年生の年ということになる。
150キロの剛速球・小松辰雄さん
時代を担うショートストップ・立浪和義さん
切り込み隊長・彦野利勝さん
三冠王・落合博満さん
恐怖の5番・宇野勝さん
仁村徹さん、薫さんの仁村兄弟
代打の切り札、音重鎮さん
躍る守護神・郭源治さん・・・
夢中になって、憧れれの選手たちの活躍を見ていた。
なぜ、あんなにも夢中になったのだろう。
何度か父親に連れて行ってもらったナゴヤ球場のライトスタンドは、楽しかった。
父親が仕事のツテで、内野のいい席のチケットをもらってきても、
「メガホン叩いて応援歌が歌える外野がいい!」
と言って、父を困惑させていた。
勝った試合の後は、先発で出た選手の応援歌を一通り演奏していたのだが、その時間がたまらなく好きだった。
もちろん、序盤で大量失点をしてしまい、ワンサイドゲームになってしまうようなこともあった。
そういう時は、つまらなそうに5回くらいで帰ろうとする父を、必死に試合終了まで引き留めた。
球場へは、車で行ったこともあったし、父の愛した赤い電車で行ったこともあった。
帰りはたいてい、疲れて起きていられず眠ってしまうのだが、その眠りは、なぜかいつも心地よかった。
愛されていたのだろう、といまになって思う。
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もっと、父とキャッチボールをしたかったのかもしれない。
父は、休日も仕事にでかけることも度々あった。
友だちも少なく、一人で壁当てをするのが日課になっていたが、それは寂しさの裏返しだったのだろうか。
「一緒にキャッチボールしたいな」
小さな私は、そう言いたかったのかもしれない。
疲れた父に遠慮していたのだろうか。
それとも、姉だったり母だったり、他の家族との関係からなのだろうか。
なぜそれが言えなかったのは、よく分からない。
けれど、いま言えるのは、もっとキャッチボールをしたかったのかもしれない、ということだ。
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ボールがグローブに収まる音だけが響く。
時折、息子も私もボールを後ろに逸らし、その度に走ってボールを追いかける。
汗が滲んでくる。
二人で、ずっと白いボールを眺めている。
時を、忘れる。
いったい、私は誰とキャッチボールをしているのだろうと不思議な感じがした。
あぁ、そうか。
寂しかった小さな私と、なのかもしれないな。
ボールを投げるとき、ボールを受け取ることが同時に起こる。
話すとは、聞くこと。
与えることは、受け取ること。
教えることは、学ぶこと。
伝えることは、伝えられること。
アウトプットは、インプット。
愛することは、愛させてもらうこと。
癒すことは、癒されること。
全ては、同じ円の中の話しなんだ。
小さな息子にボールを投げる。
小さな私がボールを受け取る。
小さな私がボールを投げる。
大人の私がボールを受け取る。
寂しかったら、また遊ぼうって、言おうな。
また、いつでもやろうぜ、キャッチボール。
息子の望みを叶えたと思っていたら、
望みを叶えられていたのは私の方だった。
花粉の季節もピークは過ぎたのに、どうも涙腺が緩くなる、そんな春の日だった。