球春という言葉がよく似合うナゴヤ球場で、幼い自分と再会したその日。
なぜか感情が荒れた。
寂しさ、悔しさ、怒り、優越感、劣等感、競争心、悲しさ…いろんな感情が噴き出た。
感情は、幼子と同じだ。
それを抑えつけようとすると、さらに大きく泣いてぐずる。
受容と共感、そして時間。
早く終わらせようとするとこじらせ、いつまでも付き合うと覚悟をすると不思議とおさまっていく。
その荒れた感情をノートなどに書き殴るなどのセルフ・セラピーもあるのだが、その日は一日外で遊んだ疲れなのか、眠くて早めに床に就いた。
すると、久しぶりに夢を見た。
起きたときに夢を覚えていることの少ない私だが、おぼろげながらでも覚えていたのは、久しぶりだった。
その夢は、神社だか何かに参拝する途中の道すがらだった。
たまたま居合わせた通りすがりの方の車に乗せてもらい、一緒に参拝した。
それがどこの神社なのか、その方が誰なのか、どんな会話をしたのか、全く覚えていない。
ただ、そんな夢を見た。
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そんな目覚めの朝だったが、いつもの時間に家を出た。
大型連休中らしく、いつも朝渋滞する幹線道路は車の数も少なく、ほとんど止まらずに仕事場まで運転することができた。
早く着いた恩恵で、いつものように少し目を閉じて座る時間を、長く取れた。
連休中で車の出入りも少なく、殊更に、静かな時間だった。
眠っているのか、起きているのか。
スマホのタイマーが鳴って、その心地よい呼吸の時間から意識がうつつに戻ってくる。
少し伸びをして、身体を触って深呼吸をして、目を開けた。
なぜだか分からないが、父と会った気がした。
懐かしい気がした。
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私が中学のときに、父は北陸へ単身赴任で家を出た。
その後、私が高校を卒業して下宿するのと入れ替わりになってしまい、そのまま別離に至ってしまった。
小学生の頃によく訪れたナゴヤ球場は、私にとって父との大切な思い出の場所だった。
寡黙な父だった。
汗かきで、休日に庭の草むしりでびっしょりと汗をかいていたのを思い出す。
仕事にプライドを持っていた父だった。
愚痴などといったものは、一切聞いたことがなかった。
私と一緒で、寂しがり屋だっただろうから、単身赴任は寂しかっただろうなと思う。
もっと、一緒にいたかった。
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ふと、父が生まれたのが、まさに今の時期だったことを思い出した。
故人の命日をいつも気にしてしまうけれど、その故人が生まれた日もまた特別な日だと思う。
生きるとは、愛された記憶をたどる旅。
応援してくれた仲間から、
不本意に別れることになった恋人から、
祖父母、きょうだいから、
父と、母から。
そして最後には、神さまなのか、仏さまなのか、太陽なのか月なのか、そうした大いなる存在から愛され、守られていることを想い出すのだろう。
生きるとは、愛された記憶をたどる旅。
その記憶を一つ取り戻すたびに、人はまた自由になる。
いまも父はビールを美味そうに飲みながら、あのライトスタンドでいまもドラゴンズの応援を楽しんでいるのだろうか。
なあ、信じられるかい?
あの頃、その剛速球で鮮烈なデビューを飾り、私も父も胸を躍らせた与田剛投手は、いまはドラゴンズの一軍の監督になって、昨シーズンまで不振だったチームを鼓舞して戦っているんだよ。
一軍の与田ドラゴンズの試合も観に行きたいけど、やっぱり僕はナゴヤ球場にもまた行きたいな。
また息子と娘も連れて行くから、一緒に観戦しような。
いま酒はやめちゃってるけど、いつかそっちに行ったときは、あの紙カップのビールで乾杯してくれよ。
そのときを、楽しみに頑張るよ。
ありがとう、お父さん。