理加さんが最後に演奏して頂いたのは、「夕陽」という曲だった。
沖縄の海に沈む夕陽の美しさをイメージして、作曲されたとお話しされた。
会場の床に座り、目を閉じた。
ひとつめの音が、鳴る。
その音色に、世界の色が変わった。
二つ目の音が、重なる。
とたんに世界の色が重なり、変わる。
三つ目…
パレットの上で重ねた水彩の絵の具のように、変わりゆく世界の、色。
パレットの上と違うのは、この色たちはいくつ重ねても濁らない、ということだ。
どうして、理加さんの紡ぐ音は、こんなにも完璧に世界の色を変えられるのだろう。
そんな思考も、しばらくすると、どこかへ立ち消えていく。
ぼんやりと、宙に浮かんでいるような私の意識。
ふと、あたりが暗くなった。
ここに来るまでに通った国道309号線のトンネルの暗さだった。
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今回の旅に出ようと思ったそもそもが、根本理加さんのクリスタルボウルを大阪へ聴きに行くためだった。
前回聴いたのが、去年の七夕に札幌のモエレ沼公園でだから、約1年ぶりということになる。
クリスタルボウルの音色は、不思議と私の心と身体を緩めてくれる。
そう、そのままでいいんだよ、と。
いま、私が立っているこの場所は、確かにクリスタルボウルの音色が導いてくれたように思う。
また、聴きたいと思っていた。
今回の旅は、その想いに正直になってみることから始まった。
根っからのハードワーカーの私らしく、伊勢道を南下して熊野古道を通って大阪に至るという、えげつない山道のルートを400キロ、延々とハンドルを握る手に汗をかきながら走ることになった。
この日の朝、大阪に至るまで通った国道309号線。
知らぬが仏、後から知ったのだが、この309号線は「近畿三大酷道」の一つとして有名な悪路らしい。
山間の九十九折りの狭路、暗く長いトンネル、むき出しの崖、林道そのままの道…運転苦手な私が、よくぞ無事にたどり着いたものだと思う。
ただ、その道中で、不思議な感覚を覚えた。
何度か通るほの暗いトンネル。
そして、それを抜けたときの緑の風景。
山の緑の感覚。
どこが、とは言えないのだが、懐かしい感覚を覚えた。
この道を、通ったことが、ある。
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クリスタルボウルの音は、いくつ重なったのだろう。
私は、心地よい空間にいた。
あれは、父の運転する車の、後部座席だった。
あまり遠出をしなかった私の家族にとって、その日の旅行は珍しく夜になっても家に着かなかった。
助手席には、母が座っていたように思うが、姉二人は乗っていたのか分からない。
さすがにドライブも飽きてきて、窓の外を眺めていたが、妙にトンネルが多くてつまらなかった。
あの風景だと思った。
なぜ、いままで忘れていたのだろう。
けれど、あの道を通るような旅行をしたという話を、聞いた覚えがない。
けれど、あの風景だと思った。
奈良県の山中を走る、あの風景だと。
そういえば、私が物心つく前に亡くなった父方の祖母は、奈良県の出身だった。
父にとっては、実の母を、いまの私くらいの歳で亡くしていることになる。
不意に、父もまた寂しかったのだろう、と思った。
そうか、寂しいのは、私だけではなかったんだ。
父も、同じだったんだ。
生を与え、愛を与えてくれた人を、きっと父も亡くした寂しさを抱えていたのだ。
私と、同じように。
寂しかったんだな。
同じように。
涙が、流れた。
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頬を伝う温度は、私を少しずつ夢から現へと引き戻していった。
不意に、なぜ夕陽は美しいのだろう、と思った。
オレンジ色の水平線に沈みゆく、半円の夕陽。
一秒ごとに、その形を変えてゆくその姿。
一日が死にゆくその姿に、なぜ人は美を覚えるのだろう。
不可逆なものほど、美しいのかもしれない。
有限なればこそ、美しいのかもしれない。
消えゆくからこそ、美しいのかもしれない。
この空間に響く、クリスタルボウルの音色のように。
不可逆なもの、有限なもの、消えゆくものに、私はいつも寂しさを覚え、胸を痛める。
けれど、それらは美しい。
ふと私は、1年前に札幌で聴いた薄いグリーンのクリスタルボウルのことを想った。
いまも、この空間に、あの心音のような音色が響いているような気がした。
いまも。
そして、これからも、ずっと。
だとするなら、何も、寂しさの涙にずっと濡れていることもないように感じる。
「有限」だと分かるのは、「無限」ということを知っているからこそ、だから。
ただ、その美しさに身を任せていればいい。
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なぜ、理加さんのクリスタルボウルの音は、記憶の底に沈んでいたイメージを呼び覚ますのだろう。
不思議だ。
大阪からの帰路、姉に家族で熊野・奈良を訪れたことがあったかと聞いたが、そんな記憶はないと言っていた。
だとするなら、クリスタルボウルの音色の海の中で浮かんだ、あの309号線のトンネルの暗さは、私の記憶違いなのだろうか。
もしかしたら、まったく違う道と、記憶違いをしているだけかもしれない。
もしかしたら、父親の記憶なのかもしれない。
それは、どちらでもいいような気がした。
いまもその記憶は、あの薄いグリーンのボウルの音色と同じように、私の中で響いているのだから。