大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

クリスタルボウルの音色との再会と、309号線の追憶。

理加さんが最後に演奏して頂いたのは、「夕陽」という曲だった。

沖縄の海に沈む夕陽の美しさをイメージして、作曲されたとお話しされた。

会場の床に座り、目を閉じた。

ひとつめの音が、鳴る。

その音色に、世界の色が変わった。

二つ目の音が、重なる。

とたんに世界の色が重なり、変わる。

三つ目…

パレットの上で重ねた水彩の絵の具のように、変わりゆく世界の、色。

パレットの上と違うのは、この色たちはいくつ重ねても濁らない、ということだ。

どうして、理加さんの紡ぐ音は、こんなにも完璧に世界の色を変えられるのだろう。

そんな思考も、しばらくすると、どこかへ立ち消えていく。

ぼんやりと、宙に浮かんでいるような私の意識。

ふと、あたりが暗くなった。

ここに来るまでに通った国道309号線のトンネルの暗さだった。

今回の旅に出ようと思ったそもそもが、根本理加さんのクリスタルボウルを大阪へ聴きに行くためだった。

前回聴いたのが、去年の七夕に札幌のモエレ沼公園でだから、約1年ぶりということになる。

kappou-oosaki.hatenablog.jp

クリスタルボウルの音色は、不思議と私の心と身体を緩めてくれる。

そう、そのままでいいんだよ、と。

いま、私が立っているこの場所は、確かにクリスタルボウルの音色が導いてくれたように思う。

また、聴きたいと思っていた。

今回の旅は、その想いに正直になってみることから始まった。

根っからのハードワーカーの私らしく、伊勢道を南下して熊野古道を通って大阪に至るという、えげつない山道のルートを400キロ、延々とハンドルを握る手に汗をかきながら走ることになった。

この日の朝、大阪に至るまで通った国道309号線。

知らぬが仏、後から知ったのだが、この309号線は「近畿三大酷道」の一つとして有名な悪路らしい。

山間の九十九折りの狭路、暗く長いトンネル、むき出しの崖、林道そのままの道…運転苦手な私が、よくぞ無事にたどり着いたものだと思う。

ただ、その道中で、不思議な感覚を覚えた。

何度か通るほの暗いトンネル。

そして、それを抜けたときの緑の風景。

山の緑の感覚。

どこが、とは言えないのだが、懐かしい感覚を覚えた。

この道を、通ったことが、ある。

クリスタルボウルの音は、いくつ重なったのだろう。

私は、心地よい空間にいた。

あれは、父の運転する車の、後部座席だった。

あまり遠出をしなかった私の家族にとって、その日の旅行は珍しく夜になっても家に着かなかった。

助手席には、母が座っていたように思うが、姉二人は乗っていたのか分からない。

さすがにドライブも飽きてきて、窓の外を眺めていたが、妙にトンネルが多くてつまらなかった。

あの風景だと思った。

なぜ、いままで忘れていたのだろう。

けれど、あの道を通るような旅行をしたという話を、聞いた覚えがない。

けれど、あの風景だと思った。

奈良県の山中を走る、あの風景だと。

そういえば、私が物心つく前に亡くなった父方の祖母は、奈良県の出身だった。

父にとっては、実の母を、いまの私くらいの歳で亡くしていることになる。

不意に、父もまた寂しかったのだろう、と思った。

そうか、寂しいのは、私だけではなかったんだ。

父も、同じだったんだ。

生を与え、愛を与えてくれた人を、きっと父も亡くした寂しさを抱えていたのだ。

私と、同じように。

寂しかったんだな。

同じように。

涙が、流れた。

頬を伝う温度は、私を少しずつ夢から現へと引き戻していった。

不意に、なぜ夕陽は美しいのだろう、と思った。

オレンジ色の水平線に沈みゆく、半円の夕陽。

一秒ごとに、その形を変えてゆくその姿。

一日が死にゆくその姿に、なぜ人は美を覚えるのだろう。

不可逆なものほど、美しいのかもしれない。

有限なればこそ、美しいのかもしれない。

消えゆくからこそ、美しいのかもしれない。

この空間に響く、クリスタルボウルの音色のように。 

不可逆なもの、有限なもの、消えゆくものに、私はいつも寂しさを覚え、胸を痛める。

けれど、それらは美しい。

ふと私は、1年前に札幌で聴いた薄いグリーンのクリスタルボウルのことを想った。

いまも、この空間に、あの心音のような音色が響いているような気がした。

いまも。

そして、これからも、ずっと。

だとするなら、何も、寂しさの涙にずっと濡れていることもないように感じる。

「有限」だと分かるのは、「無限」ということを知っているからこそ、だから。

ただ、その美しさに身を任せていればいい。

なぜ、理加さんのクリスタルボウルの音は、記憶の底に沈んでいたイメージを呼び覚ますのだろう。

不思議だ。

大阪からの帰路、姉に家族で熊野・奈良を訪れたことがあったかと聞いたが、そんな記憶はないと言っていた。

だとするなら、クリスタルボウルの音色の海の中で浮かんだ、あの309号線のトンネルの暗さは、私の記憶違いなのだろうか。

もしかしたら、まったく違う道と、記憶違いをしているだけかもしれない。

もしかしたら、父親の記憶なのかもしれない。

それは、どちらでもいいような気がした。

いまもその記憶は、あの薄いグリーンのボウルの音色と同じように、私の中で響いているのだから。

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