大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

いつだって、変化は遅れてやってくる。

19時過ぎまで明るいことに驚く、夏至を過ぎた今日の頃。

一年で一番昼間の長い時節なのに、暑さがピークを迎えるのは、まだ1か月以上も先だ。

いつだって、変化は遅れてやってくる。

悩みが大きいときほど、

進むべき道が分からなくなったときほど、

燃え尽きてしまったときほど、

行き詰まったときほど、

人は大きな変化を求め、

「かんたん、すぐに、だれにでも」

という特効薬を求めがちだ。

されど、変化というのは、ほんとうのところは正反対で、

「手のかかることを、時間をかけて、自分しかできないことを」

少しずつ重ねていく、その小さな小さな歩みの先にある。

他人から見れば何でもないことでも、

自分の中では驚くほどに勇気が要ること。

他人からすればどうでもいいようなことでも、

自分の中ではぎゅっと握りしめて手放すのが怖いこと。

他人から見れば当たり前の話でも、

自分の中ではどうしても納得のできないこと。

そんな数々の自分だけの欠片を、

ゆっくり、少しずつ、震えながら、集めて、そして磨いていく時間が、そこにはある。

その一歩を踏み出せたこと、

いや、その一歩を踏み出そうとすること、

そんな小さな小さな挑戦と達成感の繰り返し。

自分にとって、これが大切なのかな。

こっちの方がよりふさわしいかな。

いや、どちらも自分らしくないな…

その地道な地道な繰り返し。

頼りになるのは、外界のノイズではなく、自分の内なる声でしかない。

その繰り返しの中で、ある日「これが自分らしさなのかもしれない」と、ふと気づく。

そのように自分を愛せるようになると、同時に人を愛せるようになる。

そのとき、もともとあった悩みは、そこに存在することができない。 

進むべき道などどこにもなく、ただ胸の内のコンパスに従うだけだと知る。

燃え尽きた灰の中から、ダイヤモンドを見つける。

行き詰まったのではなく、どこへも行かなくていいと知る。

傍から見ている人からすると、それは大きな変化にみえるのだろう。

劇的な変化をもたらすのは、

蛮勇とも呼べるようなバンジージャンプでもなく、

ある偉大な人の教える真理でもなく、

誰もが羨むようなわかりやすい幸運でもなく、

ただ胸のうちの、小さな小さなか細い声なんだ。

そして、その声を聴くのには骨が折れるし、時間がかかる。

だから、変化には時間がかかる。

「陽中の陽」たる夏至が訪れ、昼間の割合が最も大きくなると、劇的に気温が上がるわけではない。

むしろ身を焦がすような真夏の気温になるのは、夏至から「陽中の陰」たる秋分に至るまでの道すがらで訪れる。

もう、本当にしんどくてやめようと思ったときには、それはもうそこから抜ける合図なのかもしれない。

f:id:kappou_oosaki:20190624065642j:plain

夏には白が、よく似合い。