19時過ぎまで明るいことに驚く、夏至を過ぎた今日の頃。
一年で一番昼間の長い時節なのに、暑さがピークを迎えるのは、まだ1か月以上も先だ。
いつだって、変化は遅れてやってくる。
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悩みが大きいときほど、
進むべき道が分からなくなったときほど、
燃え尽きてしまったときほど、
行き詰まったときほど、
人は大きな変化を求め、
「かんたん、すぐに、だれにでも」
という特効薬を求めがちだ。
されど、変化というのは、ほんとうのところは正反対で、
「手のかかることを、時間をかけて、自分しかできないことを」
少しずつ重ねていく、その小さな小さな歩みの先にある。
他人から見れば何でもないことでも、
自分の中では驚くほどに勇気が要ること。
他人からすればどうでもいいようなことでも、
自分の中ではぎゅっと握りしめて手放すのが怖いこと。
他人から見れば当たり前の話でも、
自分の中ではどうしても納得のできないこと。
そんな数々の自分だけの欠片を、
ゆっくり、少しずつ、震えながら、集めて、そして磨いていく時間が、そこにはある。
その一歩を踏み出せたこと、
いや、その一歩を踏み出そうとすること、
そんな小さな小さな挑戦と達成感の繰り返し。
自分にとって、これが大切なのかな。
こっちの方がよりふさわしいかな。
いや、どちらも自分らしくないな…
その地道な地道な繰り返し。
頼りになるのは、外界のノイズではなく、自分の内なる声でしかない。
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その繰り返しの中で、ある日「これが自分らしさなのかもしれない」と、ふと気づく。
そのように自分を愛せるようになると、同時に人を愛せるようになる。
そのとき、もともとあった悩みは、そこに存在することができない。
進むべき道などどこにもなく、ただ胸の内のコンパスに従うだけだと知る。
燃え尽きた灰の中から、ダイヤモンドを見つける。
行き詰まったのではなく、どこへも行かなくていいと知る。
傍から見ている人からすると、それは大きな変化にみえるのだろう。
劇的な変化をもたらすのは、
蛮勇とも呼べるようなバンジージャンプでもなく、
ある偉大な人の教える真理でもなく、
誰もが羨むようなわかりやすい幸運でもなく、
ただ胸のうちの、小さな小さなか細い声なんだ。
そして、その声を聴くのには骨が折れるし、時間がかかる。
だから、変化には時間がかかる。
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「陽中の陽」たる夏至が訪れ、昼間の割合が最も大きくなると、劇的に気温が上がるわけではない。
むしろ身を焦がすような真夏の気温になるのは、夏至から「陽中の陰」たる秋分に至るまでの道すがらで訪れる。
もう、本当にしんどくてやめようと思ったときには、それはもうそこから抜ける合図なのかもしれない。
夏には白が、よく似合い。