2018年の11月末、私自身の物語を書いた。
あれから半年が経って、私自身の物語=ライフワーク・ストーリーをもう一度書き直した。
どうも今の私は具体的な目標や願望実現にあまり興味が湧かないようで、生き方、在り方の宣言のようになった。
それはそれで、いまの私に必要なことなのだろうと思うので、そのままいまの私の物語を以下に掲載したい。
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【ライフワーク・ストーリー】
私は、表現者であり続ける。
私にとっての表現とは、
言葉を紡ぐことである。
私は言葉を紡ぐことで、
世界に広がりを与える。
そのために、私は物語を書き続ける。
私が書く物語は、
この世界の根底に流れる
愛を表現する物語である。
それを書くことは同時に、
私の役割であり、使命である。
私をいまこの場所に
運んでくれた人たちに向けて、
書くことで愛と感謝を与え続けることが、
私の存在理由であり、
またアイデンティティである。
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人の想像力は無限であり、
故に人の心の内面もまた無限である。
それはどこまでも広く、
どこまでも深く、
どこまでも美しい。
そして、その奥底には、
ほのかに暖かい愛が必ず眠っている。
どんなに傷ついて絶望しようとも、
その愛は何人たりとも汚せない。
人の想像力の翼は、
何人たりとも他人には奪えない。
どんな状態にあろうとも、
人は想像することが、書くことができる。
想像力の限りを尽くして、
私は物語を書き続ける。
書くことで、私の胸の内を焦がすこの情熱を、
外に放ち続ける。
同じように私の心に内在する、
凍えるような寂しさも、
張り裂けるような悲しさも、
あの日揺れていたしだれ桜の美しさも、
余すことなく書き尽くす。
ただただ、物語を書き続ける。
破れた夢、
親子の絆、
パートナーシップ、
才能の在り処…
モチーフは変われど、
私は世界の根底に流れる愛の物語を表現する。
そして、書いた結果がどうなろうと、
それに思い煩わずに今日も書き、
ただ表現を続ける。
故に、
この先に具体的な目標も夢も得たい物も、
何も存在しない。
そこに、私の意思は存在し得ない。
ただ、これまでと同じように、
この世界から差し出されたものを総て、
笑顔で受け取るだけである。
それがどんなものであるのか、私は問わない。
ただ、これまでと同じように、
たどり着くべきところに
運ばれていくだけである。
その先に何が待っているのか、私は問わない。
ただ、
幼き日に夢中になったボール遊びのように、
物語を書くことを続ける。
=
命を紡ぎ、
私に書くことの才能を与えてくれた父と母に、
そしてこの才能を信じ続け、
この場所に運んでくれた方たちに、
私は表現することで、
書くことで、
感謝と愛を与え続ける。
2019年7月9日
大嵜 直人