夜明けも早々からの元気な蝉の声で、目が覚めた。
夏の朝は早い。
長引いた梅雨もどこへやら、朝から湿気を含んだ熱気が漂っている。
その暑さで二度寝する眠気も失せたため、コーヒーを淹れながらぼんやりしていた。
ふと、ベランダで育てている朝顔に目が行った。
もう少し、あと少し。
早起きの恩恵。
そんな朝の奇跡を見ていると、未完こそが美しいのかもしれないと思う。
どうしても満開の花や、咲き誇った花に目が行くけれども。
ほんとうのところ、美しいのは開きかけであり、未完であり、咲き始めなのかもしれない。
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食べものにも、その食材が出回り始める「走り」、流通量が増えシーズン真っ盛りの「旬」、そしてその食材のシーズンの終わりがけの「名残」がある。
もちろん美味しいのは、脂が乗ったり十分に熟れてくる「旬」のものだが、やはり心躍るのは「走り」の食材だ。
あぁ、この食材が食べられる季節がもうやってきたのか、と。
だからこそ、料理をする人は誰しもが季節を追いかける。
常に未完であり、移ろいゆく季節の中で、「いま」を楽しんでもらうために。
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人はいつも完成形や願望実現に目が行くけれども。
ほんとうのところ、
尊いのは、そこに至るまでの道のりであり、
楽しいのは、途上であり、
人生の果実は、そのプロセスにあり、
美しさは、その蕾に既に内包されている。
願いや望みが叶わない方がいい、というわけではない。
それらは、つねにアップデートされる自分自身の「名残」でしかない。
ただその道のりを歩く愉悦に身を委ね始めたとき、すべては自分の「思い通り」にはならないことを知る。
なぜなら、自分の小さな想像や予想を超えたことが起こり始めるから。
その願いや望みを越えた出来事が、常に起こり続けるから。
それは、過去に抱いた「名残」のような願いや望みよりも、自我やエゴの描いたちっぽけな願望よりも、はるかに超えた大きな愛を見せてくれる。
安心して、そのヴィジョンに身を任せればいい。
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永遠に、未完。
ほんとうのところ、美しいのは開きかけであり、未完であり、咲き始め。
いまこの瞬間に、奇跡は起き続けている。
人生の果実は、いつもこの瞬間に、たわわに実っている。
そう、
いま、ここ、あるがまま。