大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。それでも、愛することを諦めきれないあなたへ。

誰かにしてほしかったことは、誰かにしてあげるといいこと。

スマートフォンから鳴る目覚まし音が、ずいぶんと続いてから、ようやく眼が覚めた。

深い眠りのところで、セットした時間になったようだった。

昨晩はめずらしく出かけていたので、眠るのが遅かった。

さすがに寝不足か、身体の重さを感じたが、隣で寝ている息子を起こす。

朝5時前。陽はすでに昇っていた。

カブトムシ熱が爆発している息子が、どうしても行きたいと言うため、早起きをする羽目になったのだ。

平日はウダウダして布団と仲良しの息子は、いつになくキビキビと動き、いつの間にか虫刺され対策用の長袖長ズボンに着替えていた。

コンビニで買ったお茶とおにぎりを息子に渡し、車を走らせる。

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いつもは渋滞する幹線道路も、さすがに5時台は空いていた。

少し靄がかかったような、夏にしては憂いのある空模様だった。

いつも先導してくれた友人は今日はおらず、息子と二人きりでのチャレンジだった。

朝が早いせいか、無言の時間が続く。

私自身、天然のカブトムシを自分だけで捕まえた経験というものがない。

果たして、カブトムシはいてくれるだろうか。

そんな不安を覚えながら、私はハンドルを切る。

捕れなかったときは、息子は落胆してキレるんだろうなぁ…と不吉な予感が頭をよぎり、いやいや、と頭を振る。

結果は、神のみぞ知る、だ。

目的地の山のふもとの公園の近くに、ほどなくしてたどり着き車を停める。

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私も虫刺され対策のパーカーをかぶり、虫よけスプレーを二人で振り、いよいよ雑木林の中に入っていく。

一歩足を踏み入れると、ベニシジミがひらひらと2、3匹飛び立った。

やはり、山というのは何かが、いる。

足元から緑色のバッタが跳ね、ぶうんとアブか何かが目の前を横切って行った。

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蝉の声は聴こえるのだが、静かだった。

息子の差し出した手を握りながら、私も心もとなさを感じる。

どこか立ち入ってはいけないような、朝の森の静けさ。

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少し歩くと、虫捕り名人の友人に聞いていたスポットにたどり着く。

少し古ぼけた、クヌギの木。

しかし、以前にクワガタを何匹か捕まえたその木には、今日は何も見当たらなかった。

木のうろにスマホのライトを当てたりして探すが、気配すらない。

空振り。

イヤな予感が、的中してしまった。

あれだけ虫刺され対策をしても、手や顔にすでに何か所も刺され、これ以上の探索は無駄だと割り切り、撤退を決める。

猛烈に抗議する息子の手を引き、とりあえず車まで戻る。

車を停めたスペースまで、ヤブ蚊は何匹かついてきたようで、身体の周りをしきりに飛んでいた。

「だから、おとうと来るとダメなんだ。なんで今日はともだちがいないんだ」

期待を裏切られた失望感から、私を責める息子。

「うるせえ、捕れなくてもキレるなって、言っただろ。だいたい連れてきてもらっただけで、ありがたいと思え」

期待に応えられなかった罪悪感から、正論で黙らせようとする私。

空の虫かごが、それを見ていた。

私は、もし捕れなかったときのために、と友人から聞いていた予備のポイントを当たってみることにして、息子を車に押し込んで走らせた。

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陽はもうだいぶ昇っていた。

じりじりとした暑さが、私を焦らせる。

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友人から聞いていたのは、「あやしい木そのもの」ではなく「このあたり一帯」というアバウトなものだった。

目を皿のようにして、歩みを進める。

「あっ」と息子が声をあげる。

足元に、クワガタの角の形をしたカケラを見つけたようだった。

どうやら、鳥やカラスに喰われた残骸のようだ。

生きていないのは残念だが、確実にクワガタなどがこのあたりに生息していそうだ。

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クヌギの木と、似たような木を探す。

被ったパーカーには熱がこもり、汗が吹き出てきた。

いないのか…

そのときだった。

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いた。

黒いダイヤのように、輝いていた。

歓喜の声をあげる息子。

私自身も、初めて天然のカブトムシを見つけると言う経験に、心が躍った。

慎重に捕まえ、虫かごに入れる。

似たような木をさがしていると、息子が再び声をあげた。

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いた。二匹も。

これも慎重に捕まえ、虫かごに押し込む。

三匹のオスのカブトムシで賑やかになった虫かごを満足げに眺める息子。

車に戻ると、ようやく一仕事を終えた安ど感からか、私はどっと疲れを覚えた。

それでも、息子の前でいい格好をできてよかったと、私は思った。

帰り道、しげしげと虫かごを眺める息子をバックミラーに見ながら、私はだいぶ高くなった陽の眩しさを避けるためにサンシェードを降ろした。

私が息子くらいの年の頃にも、カブトムシはヒーローだった。

けれど、なかなか近くにカブトムシが捕れる雑木林がなく、私に仲良くしてくれたのは、いつもセミやトンボやチョウチョだった。

一度、祖父の仕事の知り合いという方に夜遅くに雑木林に連れて行ってもらったことがあったが、空振りに終わった記憶がある。

親がどこかからもらってきたカブトムシを飼ったことがあったが、やはり小さな私は天然のカブトムシを捕まえてみたかったのだろう。

カブトムシを、捕まえに連れて行ってほしかった。

今さらながら、そんな願いを親に対して持っていたことに気づいた。

そして、連れて行ってくれなかったことに対して、怒っていたことにも。

不惑も近くなったのに、まだそんな想いを握りしめていることに、私は驚いた。

その想いは、気付くだけでいい。

そうしてほしかったんだよね、と。

そして、できることならば、それを子どもにしてあげることができると、癒されるのだ。

誰かにしてほしかったことは、誰かにしてあげることで、癒されるのだから。

子どもは全力で親を救いに来る。

結局、そんなことを実感した朝の大冒険だった。

カブトムシのゼリーと、土を買いに行こうよ、と息子は言った。

ああ、そうだな、行こうか、と私は答えた。