感じきれなかった感情は、心の奥底で感じられるのを待ちながら、眠っているという。
その場所は、ふだんは閉じられている心の深い場所なのだろうけれど、それは物理的な場所の場合もあるように思う。
忘れられたその感情は、静かにその場所でひっそりと、来るべき主人の訪いを待っているのかもしれない。
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半年ぶりに、息子と娘を連れて海南こどもの国を訪れた。
子どものころ、母親の運転する車に揺られて訪れたこの公園を再訪したのは、2年前の夏だった。
その頃の私といえば、両親の喪失という事実に15年という歳月を経て、向き合い始めた頃だった。
両親と過ごした日々を思い出すと、「いまの不在」が辛すぎるために、極力そうした両親と過ごした日々を思い出さないようにしていた。
けれども、15年という歳月を経て、ようやくその喪失と不在という事実と向き合う準備ができたのだろうか、私は人の力を頼りながら、少しずつ切っていた感情を取り戻していった。
「ご両親と訪れた場所を、もう一度訪れてみるといいかもしれないですね。ご両親が生きていたことを、実感するためにも」
とある偉大なカウンセラーの言葉に従い、私はいろんな土地を訪れた。
いつか母と登った山。
毎年楽しみにしていた故郷の夏祭り。
祖母の家があった場所。
夏休みに家族で訪れていた海水浴場。
祖母と一日中電車を眺めていた駅。
父の愛した赤い電車。
家族で乗ったロープウェー。
どの場所にも、言葉にならない感情が埋まっていた。
それは、今まで私が封印して無理やりに忘れようとしていた想い出だった。
そのほのかにあたたかく光っているような感情に触れていき、ときに私は静かに落涙し、ときに嗚咽を漏らすほどに泣いた。
それはずっと、何十年間も変わらずに私を待っていてくれたようだった。
時が流れても、
目に見える形が変わっても、
何かが失われたように見えても、
ここに、いる。
それが、あなたのアイデンティティだから。
そう、言われているようだった。
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2年前に訪れた際は、ハンドルを握りながら涙が止まらなかった用水路沿いの県道。
三十年以上も前に、母の運転する車に揺られて通った道。
それは、愛された記憶だった。
大容量の寂しさと悲しさから、その記憶を抹消していた私に舞い戻って来たその記憶は、確かに母が生きた証だった。
その県道を、私はまたハンドルを握って運転していた。
2年前の夏と変わらず、強い陽射しを反射した用水路が、一等星の瞬きのように輝いていた。
けれど、私の心模様は全く違っていた。
お気に入りの懐メロCDをかけながら、窓を流れていくその風景を楽しんでいた。
ふと、時が過ぎるとは、こういうことなのかもしれない、と思った。
駐車場に車を停めて、息子に手を引かれて公園へと入る。
お盆、そして続く猛暑ということもあるのだろうか、人影はまばらだった。
プールも営業しているので、皆そちらに行っているのだろう。
35度を超える気温の中、外遊びをする私たちのようなモノ好きは、どうも少ないらしい。
アスレチックで遊んだり、足踏みカートに乗ったり、池のボートに乗ったりと、夏の青空の下で外遊びを満喫する。
池の鯉にエサをやりながら、
クーラーの効いた売店で、冷たいものでクールダウンする。
夏である。
子どものころに訪れた際は、あんなにも巨大で延々と続くように感じたアスレチックや木の迷路は、いま訪れてみるとそれほどでもなく。
身体が大きくなったのか、それともアスレチックの遊具が縮んだのだろうか、と錯覚を覚えるほどに。
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たっぷりと遊んで、帰路につこうとすると、車内に忘れていたカフェラテの容器が、熱気で変形していた。
立秋過ぎたとはいえ、まだまだ暑い盛りは続いているようだった。
そんなことを想いながら、窓を全開にしてエアコンを最強にして、車内の熱気をやり過ごそうとする。
暑い、暑い、と抗議してきた息子と娘だったが、車を出してものの1分後くらいに後部座席で寝落ちした。
一人の帰り道、ハンドルを握りながら、また用水路沿いの道を通る。
エアコンの送る風の音だけが、車内に響いていた。
一筋、涙が頬を伝った。
やはり、愛されていたのだろうな。
などと思った。