目の前の人をどう喜ばせるか。
すなわち、自分はどんなふうに与えることができるのか。
自分はどんな愛し方をすることができるのか。
それを知っておくことは、人間関係においても、恋愛においもて、ビジネスにおいても、変わらず大切なことなのだろう。
その方法を考えるカギは、「自分がどう愛されてきたか」という歴史にある。
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愛を伝える、という愛され方。
厳しくしつけする、という愛され方。
笑顔で受け止める、という愛され方。
とても心配して怒る、という愛され方。
一生懸命働く、という愛され方。
一緒にいる時間をたくさん作る、という愛され方。
離れて距離を置く、という愛され方。
ともに涙に暮れる、という愛され方。
ごはんを作る、という愛され方。
お昼ご飯代を置いておく、という愛され方。
心配して干渉する、という愛され方。
心配せず放置する、という愛され方。
やさしく抱きしめる、という愛され方。
突き放す、という愛され方。
側で見守っている、という愛され方。
別れていなくなる、という愛され方。
忘れない、という愛され方。
忘れる、という愛され方。
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人は自分が愛されてきたように、他人を愛そうとする。
どうやって自分は愛されてきたか。
その方法で、人は他人を愛し、喜ばせようとする。
それは当たり前のことではないし、あなたにしかできないことでもある。
視野を広げて客観視して、それを自覚すること。
それは、自発的に愛を与え、目の前の人を喜ばせるということ。
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人は、自分自身の扱いを、必ず外の世界に投影する。
自分が目の前の人を、どう喜ばせるかに自覚的になるということ。
自分が大切な人に、どのようにして愛を与えるのかを知るということ。
それはすなわち、
目の前の人が、自分をどう喜ばせようとしているかを理解するということ。
大切な人が、自分にどのような愛を与えてくれているのかを知るということ。
それは、美しい円環を描く。
緑色の上を滑りながら大きくなる、丸い宝石のように。